|
佐伯区三宅の広島工業大学(広島工大上バス停近く)に建立されている「武内神社址」碑です。 |
由来:この地は、武内神社の址で同社は承久年間(1219-1222)藤原範実が鎌倉より移り、佐伯郡櫻尾城主となりしとき創建せられ、祭神は、帯中津日子神(仲哀天皇)、品陀和気神(応神天皇)、息長帯比賣神(神功皇后)である。
近世、社家により武内神社と称し三宅村民の氏神であったが、
明治43(1910)年11月に千同・坪井・三宅・屋代の四郷社を合併し、四宝神社に合祀される。
昭和50(1975)年この聖地を三宅住民諸氏の善意により当学園に割愛され広島工業大学地として管理することになる。なお、この碑の台石は、武内神社の礎石である。 |
※五日市町誌をみると、祭神の他に、相殿として「大穴牟遅命、少那彦名命」と記述がありました。 |
昭和60(1985)年1月吉日 学校法人鶴学園 三宅のルーツを探る会 |
広島新四国八十八ヶ所霊場スタンプラリーで佐伯区三宅5丁目の圓明寺に行くのに広島工業大学横のバス通りをテクテクと上っているときに見た石碑でした、近づくと「武内神社址」碑でした、五日市町誌には碑の由来記よりもさらっとした扱いでしたが記述がありました。 |
09.04.27裕・記編集 |