広島東洋カープ三篠練習場・三篠寮(三省寮)

  西区三篠3に建設されている「広島東洋カープ三篠練習場・三篠寮(三省寮)」です。
*2011年3月をもって閉鎖解体されました。
廣島カープ合宿所    三省寮
論語 学而☆第一          ☆子曰。学而時習之。(子曰く。学びて時に之を習ふ。)
曾子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。
曾子(そうし)曰く、吾(わ)れは日(ひ)に三たび吾が身を省(かえり)みる。人の為(ため)に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交りて信ならざるか。習(なら)わざるを伝(つた)うるか。
敷地面積:2,133.89u    竣工:1958(昭和33)年3月
主要施設 合宿所:木造2階建、個室19室、大広間(客室用)、食堂、ユニホーム室、医務室、用具室他
練習場:ピッチング練習場(2プレート)、バッティング練習場
(旧広島市民球場にも近い距離にある)カープ三篠練習場とカープレギュラー選手専用の合宿所で、ここでは合宿する選手たちのための、宿泊施設とバッティング練習場が完備されています。
2010年8月3日中國新聞をみていたらカープ「三省寮 老朽化で閉鎖」という記事がありました。
広島東洋カープの独身選手が暮らす三省寮が来(2011)年3月に閉鎖される。球団は老朽化に伴い、新たな寮を建設中。弱小期からV戦士を育てた若ゴイの拠点は、53年の歴史に幕を下ろす。
1958(昭和33)年3月完成。2階建て、19部屋ある。風呂と便所は共同で、完成当時は約10畳で2人部屋。近隣には室内打撃練習場もあり、選手たちは深夜まで打込んでいた。新人時代の衣笠祥雄や大野豊をはじめ、大半の選手が居住した。「野村現監督は(門限破りの)罰金を寮に置いてから、遊びに出かけていたと聞いた」と松田オーナーは苦笑い。最近は一人暮らしを希望する若手が多く、現在の寮生は2人だけ。入団後、5年間生活した石原慶幸選手は「新しい寮は球場に近く、よりいい環境。ただ、三省寮は便利で楽しかった」と話した。同市南区に新築される寮は来年2月完成予定。
』だそうです。
2004(平成16)年10月交流ウォークの時、このカープ三篠寮を教えていただきここにあったのかとはじめて知りました。今(2009)年広島ぶらり散歩「広島カープ関連」編を編集しだしていましたので、交流ウォークの時に撮影しました。
寮名板を撮影しようと近づきみると三篠寮ではなく「三省寮」となっていました。カープ球団の資料をみると現在は寮としてではなく、合宿所として利用されているようでした。
論語から選んだとはいえ、云い得て妙の寮名「三省寮」を付けた人物の器の大きさを思い、弱小球団だったわれらがカープを愛し、ひたむきに努力することの大切さを若い選手たちに伝え、優勝という美酒を飲もうではないかと願ったであろう人物の器の大きさを思った(薄っぺらなわたし)でした。
この寮が2010年度をもって閉鎖される事を新聞報道で知りましたので追記しました。
10.08.05追記  09.11.05裕・記編集

09.10.10撮影
広島市西区三篠3-16-12

09.10.10撮影

09.10.10撮影



「広島カープ関連」編


「建物」編



広島ぶらり散歩へ
広島東洋カープ・三省寮
広島東洋カープ・大州寮
  (大洲寮外壁の)日時計





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