(国泰寺高校の)皇太子殿下御座所跡・碑

  (皇太子殿下)行啓記念碑の根際に建立されている「皇太子殿下御座所跡」と刻まれた石柱碑です。
その前に御影石の碑が建っていますが、字が不鮮明になっていて、皇太子殿下までは読めるのですが次がよめませんでしたが、御座所跡と刻まれているのではないだろうか(また小さな方が先に建てられたのかも知れないと)想像しているのですが・・・
大正15(1926)年5月26日皇太子殿下が県立広島第一中学校に行幸され座所となったところからこの碑が建立されたか?昭和9(1934)年秩父宮殿下とご一緒されたのか?など経緯などはわたしにはよくわかりません。
        ※座所(ざしょ)=貴人(きじん/きにん/あてびと=身分の高い人)などの座のある所。
2006年5月交流ウォークのときに行啓記念碑が建立されていることはわかりましたが、この石柱碑は今(2008年1月)回訪ねたときに行啓碑の根際に建っているこの碑に気が付き撮影しました。また、根際に秩父宮殿下御座所跡・碑が建立されています、これには碑文が付いており昭和9(1934)年と記述があります。
08.05.10.裕・記編集

’08.01.25.撮影
広島市中区国泰寺町1-2-49 (国泰寺高校)

’08.01.25.撮影



殿





秩父宮殿下御座所跡・碑
昭和9(1934)年4月7日秩父宮殿下本校に台臨おらせられ斯の所に於て本校生徒對廣島縣師範學校生徒の蹴球競技を台覧遊ばさる

’08.01.25.撮影



殿











ちちぶのみや
  やすひと しんのう

秩父宮 雍仁親王
1902-1953
第123代天皇・大正天皇の第二皇子で、母は貞明皇后。 幼名(御称号)は淳宮(あつのみや)。 妃は旧会津藩主・松平容保の四男で外交官を務めた松平恒雄の長女・勢津子。階級は陸軍少将。勲等功級は大勲位功三級。子女はない。
明治以降の近代天皇制では、初めての第二皇子(皇弟)であり、明治以降初の直宮家だった(大正天皇の兄弟は皆夭折か死産だった為)。



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