(被爆した建物)旧:牛田水源地送水ポンプ室

  東区牛田新町の現在広島市水道資料館となっている「(被爆した)旧:牛田水源地送水ポンプ室」です。
牛田水源地〜送水ポンプ室・量水室〜(爆心地から2.8キロメートル)
1898(明治31)年に創設された広島市水道の発祥地・牛田水源地は、1945(昭和20)年8月6日原爆投下後、火災を起こすことがなく、致命的な損傷を免れました。
しかし、停電により送水が停止、満水状態であるはずの配水池からは最高速度で水が流出し、8月6日正午近くには、ほとんど空の状態となりました。
当日、非番であった職員らの応急修理により、午後2時頃から送水ポンプの運転が再開されましたが、市内では配水管がいたる所で破損していたため水圧の低下が著しく、断水状態になった地域も多くありました。
〜送水ポンプ室〜
鉄筋コンクリート造・2階建
現存のポンプ室は、1924(大正13)年5月竣工
被爆建物 A-bombed Building                     広島市
被爆時の名称  牛田水源地送水ポンプ室
爆心地から2,800m
この建物は、1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日まで残しています。
2007年水道資料館になっている子の送水ポンプ室の建物に入る時入口上を見上げると石版で室名が刻まれていました。
「送水」はそれとなく読めましたが、次の漢字が読めないポンプ室というからポンプを漢字で書かかれているのだろうと、館内に入り係員の方にお尋ねしたのです。誰もが尋ねるのでしょう、声には出さず、紙に書いたものを指し示されましたが、その時わたしは読めませんでしたので、帰宅後辞書を引いてやっと「喞筒」(室名板には口篇がありませんが)とわかったのでした。
2012年館内で見学している時、水道新聞なるものが貼り出されていたのです。それには創設時代のポンプ室の写真がありましたので撮影し、この頁を更新しました。
12.12.17.更新   07.03.22.裕・記編集
    送水喞筒室 (表記:室筒喞水送)
喞筒: 読み:そくとう      ポンプのこと
ポンプ:
(pomp)
空気・液体などを一方の口から吸い込み他の口から押し出したり、吐き出したりするように作った機械。
構造的には押し上げ、吸い上げ式がふつうであるが、ほかに渦巻き式・歯車式・ねじ式などがある。

07.02.10.撮影
広島市東区牛田新町1-8-1  (広島市水道資料館)

07.02.10.撮影
側面

07.02.10.撮影

07.02.10.撮影
正面窓上のまぐさ兼用の鉢巻き 正面入口附近

07.02.10.撮影

07.02.10.撮影
裏面

12.02.04.撮影
2012年訪ねた時は改修工事が行われていました
(説明板にある)送水ポンプ室
濾過池越に見える送水ポンプ室(説明板の写真を使用しています)
創設時(明治31年)の気関室とポンプ室
創設時(明治31年)の気関室とポンプ室(展示説明板の写真を使用しています)



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