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南区西蟹屋の西蟹屋第二公園に残されている(この地にあった)「三星製菓工場のレンガ」です。 |
資料によると、三星製菓は1882(明治15)年京橋町で「山翁堂」として創業、1922(大正11)年段原町で飴菓子、落花生の製造をはじめ、1924(大正13)年西蟹屋町に工場・事務所(レンガ造・2階建)を建設。
翌(大正14)年2月三星製菓所を設立しました。
製造されていた「三星ネーブル」は国内販売及び中国大陸へ輸出されていました。
三星製菓は1940(昭和15)年陸海軍の指定工場になり軍用乾パン、ビスケットの製造をしており、1945(昭和20)年被爆時には第一国民学校の生徒約80人が学徒動員されていました。 |
爆心地から≒2350m 被爆当時町名も西蟹屋町 |
原爆で工場・事務所は壊滅的打撃を受け、レンガ造工場は屋根が吹き飛ばされる被害を受けましたが厚いレンガ壁は残ったので、これを修復して菓子工場は再生され、乾パンの製造がされました。この敷地が都市計画公園に指定され、工場は移転し1995(平成7)年8月取り壊されました。 |
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カニ公園ともいわれるこの公園をはじめて訪ねた2007年、調べると(被爆建物が平成はじめまで残っていた)三星製菓工場だった場所ということを知ったのです、今(2008)年手押しポンプを撮影しようと南側から行ったのです。手押しポンプはすぐわかり近づくと説明板が付いており、被爆した工場の外壁の一部をモニュメントとして残していることを知りました。 |
08.07.10裕・記編集 |