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東区東蟹屋町の東区民文化センター1階ロビー壁に展示されている「ヒロシマの風景」です。 |
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「ヒロシマの風景」 寄贈 増田勉(ますだつとむ:1916-2007) |
二科会評議員。被爆画家。大正5(1916)年広島市的場町(現・東区曙)に生まれる。昭和10(1935)年広島県師範学校本科第一部卒業。
昭和20(1945)年(第一)国民学校教師だった増田氏は、爆心地から1.5kmの地点で生徒約150名と共に(建物疎開作業中に)被爆(のうち46人を喪った)、まぶたに焼き付いた情景を鎮魂の思いと平和への願いを込めて描いた代表的大作で、被爆地「ヒロシマの証言」としても、歴史に残る重要な作品です。 |
平成10(1998)年3月17日 広島市東区文化センター館長・松原明二 |
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東区図書館で借りた図書を返しに行ったついでに区民文化センターをもう一度見てみようと思い立寄ったのです。1階ロビーの壁に壁画があり、説明板が付いており、この作品が被爆画家の増田勉作品とわかりました。
個々の部分をみながら亡くなった作者の教え子の顔が描かれているのだろうと・・・その悲痛な表情は、いまのわたしにはどうしようもない過去の出来事ですが、作者の作品の言葉の最後の行『平和に向かってつき進もう』という呼びかけには、わたしごとき人間でも何かやらねばと思わずにはおられませんでした。 |
10.03.08裕・記編集 |