(福岡市立)大名小学校

  福岡市中央区大名に開校している福岡市立「大名小学校です。
※2014(平成26)年3月閉校に(なったそうです)なりました。
※旧校舎は、2017年4月12日官民共働型支援施設「FUKUOKA growth next(福岡グロースネクスト)」が誕生。
※学校跡全体は、「旧大名小学校跡地活用事業」 で(2019年7月8日工事着工)2022年12月供用開始予定とか。
今(2018)年になって大名小学校を卒業した2人の兄に閉校になったことを教わったのです。
いまは三人とも広島に住んでいますので、2014年以降何度も会っていますが福岡の小学校の話題に触れる話をしていなかったからなのではありますがわたし一人が知らなかったのです。
全国の控訴院における陪審裁判記録を収集研究している長兄(弁護士)に大名小学校(RC造本館)3階に1945(昭和20)年8月15日福岡控訴院が(長崎から)移ってきたことがあった事を聞いたのです。
この頁を編集しているわたしは(当然と云うべきか)頁編集時の学校HPをみて沿革を編集しましたが、そのような記述はなかったのです。
その話の時、この大名小学校が既に閉校になったことも併せて教わったのです。一緒に話を聞いていた直上の兄も閉校のことを知っていましたので、この頁を更新しなくてはと思ったのです。
        大名小学校略沿革
1873 明治6年 大明小学校開校
1894 明治27年 大名尋常小学校
1929 昭和4年 鉄筋コンクリートの現在の校舎が落成
1941 昭和16年 大名国民学校と改称
1945 昭和20年 空襲で木造校舎焼失 (6月19日の空襲と思いますが)
-〃- 8月15日(長崎から控訴院が移り)校舎3階に福岡控訴院が開庁しました。※1
1948 昭和23年 西校舎落成
1949 昭和24年 北校舎木造2階建て落成、1968(昭和43)年解体。
2014 平成26年 児童減で3月をもって閉校。
福岡市立舞鶴中学校などと統合され、「福岡市舞鶴小・中学校」に変わる(中央区城内)
沿革資料は(編集当時の)福岡市立大名小学校の資料を、閉校に関してはWikipediaを参考にしました
大名小学校の歴史をみてきたという「エノキの説明版」がいの一番に目に留まりましたが、ここにエノキがあったという記憶は(わたしは無かったのです。
運動場もみましたがわたしが通っていた時代は北側に建物は無かったように思ったのですが、学校沿革によると木造2階建ての校舎があったそうです。その記憶を思い出しませんでしたが西校舎(確か木造であったと思う)で学んだ年があったことは憶えています。
いまは地下鉄になっていますが、当時は西鉄のチンチン電車(路面電車)が走っている時代だったのです。
2018年みたときは春でしたので、緑の葉っぱを出していました。元気はつらつという状態ではないようですがまだまだ寿命ではないとでも云っているように思いましたが。
半世紀近く前になりますが、(わたしは)この大名小学校に入学し通っていたのです。
本館の建物は外壁の剥落の跡がところどころに見えましたが、その部分は無理に塗り足したりせずに外装が新しくなっていましたが、校舎は、昔のままの姿でした。
団塊世代のわたしが通ったときは児童数も多く、1学年10数クラス(12クラスだったと思うのですが)あったように記憶があり、2部授業といって、午前の部に登校するか午後の部に登校するということもあった時代でした。
(2007年度現在の大名小学校は全学年1クラスづつであるようです)。
東の通用門が土曜日というのに開いていましたので、久しぶりに(昔わたしはここから入っていました)少しばかり校庭内に入って校舎を撮影しました。
大名小学校が2014年に閉校になったこと。
戦争の終結を告げる詔書の放送がなされた1945(昭和20)年8月15日長崎から(今の高等裁判所にあたる)控訴院が移転し開庁、校舎の一部(三階)を使用したこと等を追記しました。
18.05.16.更新   08.01.29裕・記編集

08.01.26撮影
福岡市中央区大名2-6-11 福岡市大名小學校

08.01.26撮影

08.01.26撮影

08.01.26撮影
正門からはほとんど入った事がありませんでした 東の通用門、わたしはこちらから学校内に入っていました

08.01.26撮影
外壁の剥落跡がよくわかりますが、外装補修されていました

08.01.26撮影

08.01.26撮影
東通用門ですので通っていた時代毎日見ていたはずなのにこのような話は聴いていないな〜と・・・

18.04.28.撮影
2018年は春でしたので、緑の葉っぱを茂らせていました
※1 昭和20年8月1日勅令第443号で
8月15日高松控訴院を設置することと長崎から福岡へ移転し福岡控訴院と称することが決まりました。
長崎控訴院ではさっそく移転準備をはじめ、記録類や書籍などを貨車三台に積込みました。
福岡に届いたのは一台のみで、あとの二台は8月9日長崎駅頭で原爆に被災焼失しました。
(福岡に移された図書は現在福岡高等資料室に長崎控訴院伝来の図書として保存されています。)
福岡控訴院は、庁舎の準備もなくとりあえず本庁は(生徒の疎開で空いていた)大名国民学校三階に、分室は福岡地方裁判所におかれることになりました。
資料は福岡県弁護士会史上巻からです。弁護士である兄から教わりました。
広島においても昭和20(1945)年6月10日米軍の攻撃で本土が分断された時独自の判断ができる「中国地方総監府」が当時の広島文理科大学におかれたことを知っていましたが、

九州では福岡に「九州地方総監府」が置かれるこに伴い長崎から福岡へ控訴院が移転することになり、四国地方総監府が置かれることで高松控訴院が設置されるという経緯だったようです。
福岡控訴院略沿革
1875 明治8年 東京・大阪・長崎・福島に上等裁判所が設置されました。
  3か月足らずで福島上等裁判所が仙台に移転し、宮城上等裁判所となりました。
1881 明治14年 控訴裁判所に改称。また、函館にも設置。
1882 明治15年 広島・名古屋にも設置。
1887 明治19年 控訴院に改称。長崎控訴院、広島控訴院となりました。
1945 昭和20年 (長崎控訴院福岡に移転)福岡控訴院と改称。庁舎として大名小学校の三階を使用
1947 昭和22年 裁判所法施行で、福岡高等裁判所と改称
(広島)控訴院関連広島控訴院跡・碑
 
福岡のチンチン電車略沿革
1910 明治43年3月9日 福博電気軌道(貫通線、呉服町線)路面電車開業
1975 昭和50年11月2日 貫通線・呉服町線廃止。
1979 昭和54年2月11日 循環線・貝塚線廃止で市内の路面電車の歴史に幕。
1981 昭和56年7月26日 地下鉄1号線(室見-天神)開業



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