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中央区天神に鎮座している「警固神社」です。 |
祭神: |
神直日神 大直日神 八十禍津日神 |
相殿神: |
建角身命 豊玉姫命 神功皇后 応神天皇 |
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御祭神は記紀にみえる神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。
この御三神は中哀天皇九・庚辰(200)年筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后三韓遠征の時に再び顕われられ、軍衆を警固大明神と仰いで、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。これが警固神社の創祀と伝えられております。
後世の慶長6(1601)年藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の小嶋神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。
更に薬院の地(天神2丁目の現在地)に遷られることになり、慶長13(1608)年7月7日社殿の造営成って、この地に御鎮座になりました。
爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和7(1621)年11月5日長政公より社領八十石の御寄附があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治5(1872)年11月13日村社に、大正5(1916)年2月26日県社に昇格されました。
現在は戦後の制度変更により、宗教法人警固神社と称しています。 |
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子どものころの警固神社の記憶を呼び起こすかなと思って訪ねたのですが、周りの街並みはまったく変わって、境内で遊んだこともあるのにこうだったかな〜と思いました。
大名小学校に通っていたわたしは隣の警固学区に位置していたこの警固神社はある意味遠くの神社だったのですが今回歩いてみるとすぐそこだったのです。半世紀近く前の子どもだったからでしょうか、設置されている神社の由来なんか読んだことも無かったのです。 |
08.02.07裕・記編集 |
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08.01.26撮影 |
福岡市中央区天神2-2-20 |
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08.01.26撮影 |
08.01.26撮影 |
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08.01.26撮影 |
拝殿から本殿をみました・・・ |
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08.01.26撮影 |
08.01.26撮影 |
神社額 |
拝殿、本殿をみました |
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