|
西区大字飯盛の飯盛神社境内に建立されている「日露戰役紀念碑」です。 |
明治39(1906)年4月15日建立の「日露戦役記念碑」です。 |
(にちろせんそう)
日露戦争: |
1904(明治37)年2月から翌(1905)年にかけて、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。
日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国は米国大統領ルーズベルトの勧告をいれて、1905(明治38)年9月ポーツマスで講和条約を締結した。 |
(あかし もとじろう)
明石元二郎:
(1864-1919) |
陸軍軍人。黒田藩(大名町)出身。陸軍大将勲一等功三級男爵。第7代台湾総督。
日露戦争の際、欧州で諜報活動に従事。明石の工作が、後のロシア革命の成功へと繋がっていくことになり、後年レーニンに「日本の明石大佐には本当に感謝している。感謝状を出したいほどである。」と云わしめたそうです。 |
|
広島のそこここに忠魂碑、戦役記念碑が建立されていることをここ数年少しづつ知ってきているわたしです。
ここ福岡の飯盛神社を訪ね境内をみ、散策したとき戦役碑をみましたので撮影し、編集しました。
|
08.03.25裕・記編集 |