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福岡市東区志賀島の棚ヶ浜海岸に建立されている「万葉歌碑(第九号碑)」です。 |
万葉歌碑 (志賀島9号碑) 2000(平成12)年3月 福岡市教育委員会 |
「筑前の国の志賀の白水郎(あま)の歌十首」中の一首。
神亀(724〜729)のころ大宰府から対馬に糧を送るよう命じられた宗像郡の津麿(つまろ)に代わって志賀の荒雄は、肥前の国の美祢良久(福江島三井楽)から対馬に船出したが、暴風雨に遭って海没した。それから8年、荒雄の妻子はなおその生還を念じてこれらの歌を作ったという。また、一説では筑前の国守山上憶良(やまのうえおくら)の作であるとも伝えられている。
荒雄(荒尾)の乗った鴨という船が、也良の崎をまわって漕いで来るよと知らせが来たならなあ。
鴨は荒雄の船の名、也良の崎は能古の島の北端で、そのあたりを漕いで来る荒雄生還の吉報を期待する家人の切ない心を詠んだ歌である。(なお、也良の崎のは「沖つ、島鴨とふ船の還り来ば也良の崎守早ぐ告げこそ」の歌碑がある。 |
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巻第十六 3867 |
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福岡で育ったわたしですが、万葉集を紐解いたことはありませんでした。広島ぶらり散歩「文学碑など」編を編集しだしましたので、義兄の家からさほど遠くないこの広場に碑が建っていたことは知っていましたが、今まで近づいてみることもなかったのですが、今回近づき万葉歌碑であることを知り撮影しました。 |
08.12.03裕・記編集 |
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08.04.28撮影 |
福岡市東区志賀島 棚ヶ浜海岸 |
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08.04.28撮影 |
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萬
葉
集
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第
十
六
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昭和51年=1976年 |
能古の島の崎と第9号歌碑 |
碑裏面(漢字の読みは私の解読で不確かです) |
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08.04.28撮影 |
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