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福岡市中央区天神の日本生命ビル横に建立されている「(福岡市戦災復興記念)群像」です。
※像の作者は、富永朝堂です。 |
福岡市は第二次世界大戦末期の昭和20(1945)年6月19日午後10時30分ごろかた約2時間にわたり米空軍B29爆撃機約60機による焼夷弾攻撃を受け、都心部のほとんどが焦土と化した。その被災状況は面積約40,000ku、人口6万人、戸数約1万3千戸に及んだ。
昭和20(1945)年8月15日敗戦を迎えて国は全国115都市の戦災復興の急務に鑑み復興の基本計画を策定すると共に特別都市計画法を制定した。本・福岡市もこれに基づき昭和22(1947)年1月22日福岡都市計画復興土地区画整理事業の認可を得て事業に着手した。事業は混乱した戦後の社会状況の中で幾多の困難はあったが、関係者の協力を得て着手以来25年の歳月を経て 昭和47(1972)年2月22日完了するに至った。ここに事業完成の業績を顕彰し、記念群像を建立する。 福岡市長阿部源蔵(在任期間:1960-1972) |
補記:碑文に記されている福岡大空襲の規模については昭和50(1975)年に明らかにされた米国国防省の機密文書によれば、爆撃航空機B29の数は、221機と記録されている。 |
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富永朝堂(1897-1987)
木彫家。(指物師の家)福岡市生まれ。山崎朝雲に師事する。代表作は「卑弥呼の顔」「谷風(こくふう)」など。 |
この野外彫刻が建立されている記憶はわたしにはなかったのです、近づき碑文を読むと戦後復興事業というものが福岡市にもあり1972(昭和47)年に完了したと・・・既に福岡には住んでいない時代ではありましたが、福岡市長選挙に投票に行ったこともあるわたしは、投票用紙に阿部源蔵とは書いた記憶がないのですが、誰の名前を書いたのかもまた思い出せない歳になってしまいました。 |
広島市にも戦後復興事業の碑が建立されていますので興味深く碑文を読んだのです、わたしが福岡で育った頃の教育には昭和20(1945)年6月19日の福岡空襲のことなど習った覚えがないのです。広島で育ったわたしの息子たちのように平和学習なるものはなかったな〜〜と・・・ |
08.05.18裕・記編集 |