西中島橋
  福岡市中央区天神地区と博多区中洲地区を結び那珂川に架かる「西中島橋」です。
現在の西中島は、(福岡市の交通動脈である)昭和通りと二級河川那珂川との交差部に架かるPC2径間連続中空床版橋。橋長79.9m、幅員50m、車道の両側に幅員10mの歩道を有する。開始日2003(平成15)年3月だそうです。
1609(慶長14)年城下町福岡と博多を結ぶ最初の橋としてふたつの中島橋(西中島橋、東中島橋)が架橋されました。
ふたつの中島橋は、1892(明治25)年に一度架け替えられた、赤煉瓦と花崗岩を使用した橋だったそうですが、残念ながら大空襲後に廃橋となってしまったそうです。
     (歩道部中央に跳ねだし部があり)下記の説明板が設置されています
慶長12(1607)年福岡藩初代藩主・黒田長政の福岡城築城によって、中世以来の交易都市「博多」と、黒田家お連れ衆の武士や町人が移り住んだ新興都市「福岡」が、双子都市としての歴史を歩み始めました。
城下町「福岡」は福岡城の外郭を形成し、東側は那珂川を境として肥前堀と中堀(紺屋町掘)を経て、西側は大濠とやな掘(黒門)によって区画されていました。
城下町には唐津街道の一部であり、福岡の街のメインストリートであった「六丁筋」といわれる本通りがありました。東の境目である那珂川縁には「桝形門」が設けられ、西中島橋と東中島橋によって博多と繋がっていました。枡形門は、侵入してきた敵を阻止する軍事的防衛と、唐津街道の城下町への出入口としての機能を持ち、高さ10mの石垣と櫓門で作られており、唐津街道に通じる北門と福岡城大手門に通じる南門を備えていました。掛軸には福岡と博多というふたつの文化に関わってきた西中島橋と桝形門の姿が描かれています。
枡形門には南北に門があり、唐津街道に通じる北門を出ると橋口町、福岡城大手門に通じる南門を出ると天神町でした。ちなみに、北門と南門の前の空き地が「枡」の形になっていることから枡形門と名付けられました。
わたしは以前の西中島橋を橋名など気にせずというか知らずに渡っていた子ども時代を過ごしましたが、この説明板を読んでいろいろなことを知らずにいたことを今回知ったのです。桝形門のこと、僧・仙香iせんがい)のこと、博多の賛というもの、などなど・・・
08.05.27裕・記編集

08.01.26撮影
福岡市中央区天神地区と博多区中洲地区をつなぐ西中島橋 

08.01.26撮影

08.01.26撮影



























































西中島橋と桝形門
仙香iせんがい)筆

08.01.26撮影
西中島橋から北側をみました。みえるのは弁天橋、遠くポートタワーの赤い光が・・・

08.01.26撮影
西中島橋から南側をみました。みえるのは西大橋
仙豪`梵 (せんがいぎぼん:1750-1837)
臨済宗の僧。美濃国(岐阜県)生まれ。11歳で出家し、横浜の禅師のもとで教えを受けた後、諸国を行脚、40歳の時、博多・聖福寺の住持になりました。62歳で隠棲し、詩文や書画を描く生活に入りました。
禅の境地を分かりやすく説く軽妙で味わい深い書画は人々に長く愛されてきたそうですが、わたしははじめて知りました。



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