|
福岡市東区志賀島渡船乗り場から志賀島字古戸1865金印公園へを取り上げました。 |
渡船乗り場から金印公園への道すがら、いろいろとわたしなりの思い出もあるのです、
子どもの頃何度か見学した水族館は既に過去のものでその存在を知る人の方が少ない時代となり、近年まであった国民宿舎も閉館になり2002年時点ではすでに解体されていました。
海水浴も博多湾側のこちらにもあったりしました(当時泳げませんでしたので、浮輪で浮かんでいるだけだったのでしょうが)、今でも打っているようですがサザエをお土産に買ってもらったりしました。
人さまと同じようにわたしも今は亡き義父、義母へ女房との結婚の許可をもらいに船に乗り、この道を歩きましたが、既に30余年前になりました。 |
志賀島は周囲約12kmで、面積約5.8ku、玄海国定公園に含まれています。博多湾口に位置することから元寇(1274年・文永の役、1281年・弘安の役)の古戦場蒙古(首切り)塚と1784(天明4)年金印の発掘はみなが知るところだろうと思っています。 |
1889 |
明治22年4月1日 |
町村制施行により、島内全域と対岸の海の中道の西端部を行政区域とする糟屋郡志賀村発足 |
1953 |
昭和28年7月5日 |
志賀村が糟屋郡志賀町(かすやぐん・しかまち)として町制施行 |
1971 |
昭和46年4月5日 |
志賀町が福岡市に編入され、島内全域が福岡市に属する |
|
08.06.04再編集 02.05.03裕・編集 |