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太宰府市石坂の九州国立博物館太宰府側入口根際に建立されている「大伴旅人歌碑」です。 |
わが苑に 梅の花散る 久方の 天より雪の 流れくるかも (巻5・822)
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(おおとものたびと)
大伴旅人:
(665-731) |
奈良前期の政治家、歌人。安麻呂(?-714)の長男。家持 (718?-785) の父。
728(神亀5)年頃大宰帥(だざいのそつ)として九州の大宰府に赴任(下向)、二年後730(天平2)年大納言となり帰京。万葉集所収の歌は、主に大宰帥在任中のもので、山上憶良らと歌壇を形成した。率直な抒情的歌風で知られ、道教的思想の影響を受けたものも多いそうです。 |
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天平2(730)年正月13日大宰府で春をことほぎ、宴が催されました。場所は大宰帥(だざいのそち=律令制で大宰府の長官)旅人の邸宅。中国渡来の梅を賞美し、それを題材に歌を詠もうという、後世「梅花の宴」と称される宴のことだったそうです。 |
「わが園に梅の花が散る いやこれは大空から雪が流れてくるのであろうか」ということで、梅の花を雪にたとえるのは中国の詩に多くの例があり、また雪が流れるという発想や言葉使いは中国の「流雪」という語を元にしたものだといわれ、この歌は大伴旅人の中国的素養、漢詩文に造詣が深い文人的、知識人的な風雅をよく表しているといわれているそうで、また、中国の文化を取り入れつつも漢詩ではなく日本文化である和歌を表現したところに、万葉人の心がしのばれるといわれているようですが、智識人的な素養がないわたしには解説を読んでそうだったかと思ったのです。 |
09.03.09裕・記編集 |