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福岡市早良区百道浜に開校している「西南学院高等学校」です。
*わたしが青春を過ごした遠い日々は男子校だったのですが、いまや男女共学になっています。 |
数年もしないうちに半世紀も前に、わたしが入学を許され卒業した(わが青春の)西南学院高校を訪ねたのです。
(わたしが浄土宗宗徒であることをまったく意識していなかった時代で)讃美歌をうたった木造のチャペルでも残っていればと思うこと自体がまったく見当違いである今の校舎をみながら、(わたしの懐かしさだけを求めることのむなしさを感じつつ)今の校舎の外観だけを撮影しました。
西新の町自体がすっかり変わり、西に位置していた百道の浜は夏には海水浴場で、(冬の大相撲)九州場所では、花籠部屋が宿舎にしていて相撲取りをみた百道の浜はすでに埋立てられてしまい、海水浴場であった事を知る人も少なくなりつつあるのでしょうね。 |
1916 |
大正5年 |
米国南部バプテス派宣教師C.K.ドージャーが、福岡市大名町105に私立西南学院を創立 |
1918 |
大正7年 |
福岡市西新町189(現・西南学院大学東キャンパス)に移転 |
1948 |
昭和23年 |
学制改革により西南学院高等学校と改称 |
1994 |
平成6年 |
高等学校男女共学へ移行 |
1999 |
平成11年 |
高等学校中高一貫初年度生入学 |
2003 |
平成15年 |
西南学院中学校・高等学校、百道浜の現在地に移転 |
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沿革資料は、学校法人西南学院の資料を参照し、(わたしなりに)略しました |
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今(2011)年6月甥の結婚のお祝いが主目的で福岡に行きました。いろいろと行ってみたいところはありましたが、時間的な事で、ここ西新(百道浜)の福岡市博物館に常設展示の本物の金印をみることと、いまは移転し博物館近くに位置している(わたしが)卒業した西南学院高校を訪ねてみる事にしました。 |
川端から西新の西南まで通学するのに、(当時まだあった)西鉄のチンチン電車で通ったと思うのですが地下鉄になっているいまからは当時を思い出すことさえできませんし、校舎があったところは、学院大学より随分東側にあったと思うのですが、それも思い出させるものは(わたしには)なにもありませんでした。一緒に行った女房(福岡高校卒業)に小学校も当時あったのかと尋ねられたのでしたが、それさえ思い出せない情けないわたしでした。 |
詩23篇、「主はわが牧者なり、われ乏しきことあらじ、主はわれをみどりの野にふさせ、いこいの汀にともないたもう・・・」とうろ覚えながら云える教えを忘れてはないのですが、浄土宗宗徒のわたしは、近いうちに必ず、法然上人が説かれる浄土に導かれたいと思い、念仏を唱えている日々なのです。
そんな事を思いながら、校歌に謳われる周りの景色はすっかり変わっり、♪♪・・・松の緑青春の色・・・と謳った当時はなく、既に遠いものとなってしまい、(わが青春の)わが母校の周りをみました。 |
11.07.03裕・記編集 |