旧新涯取水樋門址・碑

  福山市沖野上町に建立されている「旧新涯取水樋門址」碑と安置され祀られている「地蔵尊」を取り上げました。
「旧新涯取水樋門址」碑は、昭和46(1971)年に建立された碑でした。
400町歩と刻まれていましたが、どのくらいの規模かピンとはきませんでしたので、帰宅後調べてみました。1町歩≒9,917uということですので、400町歩≒3.96kuとなります。
1956(昭和31)年引野町など10ヶ町村を合併した福山市の面積136.36Kuだった事を思うと大きな面積ですね。
南から北に向かってアジア彫刻の道を歩いてきて最後の広場と思われる処でみた「旧新涯取水樋門址」碑でした。
ここ福山も埋め立てで街が広がってきたことをわかる樋門に関する碑でした。
昔、単身赴任で福山に住んだ時の寮が引野町にあったことなど懐かしく思ったのでした。
10.02.18裕・編集

09.10.12撮影
広島県福山市沖野上町3

09.10.12撮影










































09.10.12撮影
(福山沖野上町の)地蔵尊
  コンクリートブロックで仕切られた四つの空間に二体の石仏が収めら(鎮座さ)れています。
それぞれにお寺の名前が違う札が付けられていますので、ここアジア彫刻の道として整備される前には、道端でこの地の住民を見守っておられた石仏だったのだろうと・・・
アジア彫刻の道として整備されることになったので、一同に会していただき祀られたのかなと(わたしは)思いながら、頭を垂れましたが、違っているかもしれません。
10.02.18裕・編集

09.10.12撮影
広島県福山市沖野上町3

09.10.12撮影



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