宮澤喜一:記念植樹・碑

  福山市丸之内の福山城公園に植樹されている「宮澤喜一:記念植樹・碑」です。
記念植樹 内閣総理大臣 宮澤喜一 1993(平成5)年5月15日
宮澤 喜一(みやざわ きいち) 1919-2007
大蔵官僚、政治家。出生地:東京市、本籍地:福山市。東京帝国大学法学部政治学科卒業。2003(平成15)年福山市名誉市民、2004(平成16)年広島県名誉県民。
大蔵省行政官大蔵省大臣官房秘書官。参議院議員。経済企画庁長官。衆議院議員。通商産業大臣、外務大臣、内閣官房長官、自由民主党総務会会長、大蔵大臣副総理。自由民主党総裁、第78代内閣総理大臣(在任1991年11月5日-1993年8月9日)。参議院広島地方区参2回。衆議院広島7区衆12回。
クイズ番組などで、広島県出身の総理大臣経験者は?と取り上げられることがあります。宮澤喜一、池田勇人(いけだはやと)、加藤友三郎(かとうともさぶろう)の3名との答えですが、出生地ということで捉えた云い方では宮沢は東京ですのでこの中には入りませんが、本籍地、選挙区から広島(県)出身の総理大臣に入れているのでしょう。
いままで宮沢に関する記念碑などをみてきたことがなかったので、「広島ゆかりの人たち」編には入れていませんでしたが、福山城公園でこの「記念植樹」碑をみましたので撮影し、頁を編集することにしました。
総理大臣を退いた後、(再び)大蔵大臣となり、宮沢自身の政策選択の幅は狭かったとはいえ、経済危機への対応策として巨額の恒久的減税と(財源として)大量の赤字国債を発行し続け、財政赤字は膨大なものとなりました。その後金融危機を脱し、景気回復も軌道にのりかけた時、財政再建に乗り出すこともなく再び景気下降している時に退任しました。それ以後国の借金は膨らむばかりで、人口減少の日本国の子孫に重い負担を長く強いることになって行くことになったのではと(わたしは)思うのですが。
※宮澤喜一ですが、宮沢喜一との表記も新聞などでは見られます。 09.06.23裕・編集

09.06.06撮影
広島県福山市丸之内1丁目 福山城公園

09.06.06撮影
敬称は略しました



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