(全抑協・広島県福山支部)シベリヤ抑留者慰霊碑

  福山市丸之内の福山城公園に建立されている「(全抑協・広島県福山支部)シベリヤ抑留者慰霊碑」です。
     趣意書
一九四五(昭和20)年八月十五日大東亜戦争は出征兵士の五%の戦死者を数え終結した
ポツダム宣言第九条
日本国軍隊は完全に武装を解除せられるのち各自の家庭に復帰し平和的かつ生活的な生産を営む機会を得しめられるべしと定めたるもソ連政府は右条約に違反し 日本人を着の身着のまゝでシベリヤに連行拉致し自国復興五ケ年計画に駆りあtて残酷非道にも一日わずか黒パン三百グラムの食糧で厳寒の中朝まだ暗き内より夕闇せまるまで 時間なき重労働を課し為に栄養失調と防寒衣なき厳寒の山野に労苦し凍傷に罹かり万斛の恨みを呑みし死歿者は 戦争中の戦死者の倍率以上を数え餓死者はシベリヤの凍土と化し又復員後も後遺障害に苦しみ日成らず他界せし同志も数多くあり未だ遺骨拾集もならず墓参もできぬ同胞の御魂を此の地にお迎えして永遠の眠り安かれと念じ御魂鎮座碑建立す 
敬白
廣島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡」編という事からするとこの碑の建立が福山市という事から外れるかも知れませんが関連ということで、見ていただければ幸いです。
碑文を読めばシベリヤ抑留の悲惨な実態を切々と訴えて、今日の日本の平和と繁栄の礎になったと云っています。
09.07.30裕・編集

09.06.06.撮影
広島県福山市丸之内1-9   福山城公園

09.06.06.撮影

09.06.06.撮影


































09.06.06.撮影
碑文
(下記)
慰霊碑賛歌
作詞:江種孝士  作曲:佐藤貢
碑文
嗚呼忘れ得ぬ昭和ニ十年八月十五日それは日本国が大東亜戦争に破れポツダム宣言受諾降伏大詔換発の日であった正に青天の霹靂慄然とし一瞬慟哭し虚脱状態となるされど日本民族ニ千有余年の歴史の闘魂は失せずその時より日本再建は始まったポツダム宣言保障条項は日本国軍隊は完全武装解除の後各自の家庭に復帰し平和なかつ生産的生活を営む機会を得しめるべしと宣言したポツダム宣言諸国この宣言を誠実に履行した然るにソ連のみはカイロヤルタポツダムの連合国首脳会議に参加第ニ次世界大戦処理の重要会議を遂げたにも拘らず当時日ソ間で締結されていた不可侵条約を犯し昭和ニ十年八月九日突如対日宣戦を布告満蒙樺太千島を占領し公私の別なく無差別に諸物資を掠奪日本軍及び一般同胞等約八十万人を拉致し同く日本再建の為これらの諸物資と抑留者はウラジオストック経由日本に送還するのだと恰も眞実の如くに虚凝を告げ以って眞実を糊塗して自国内に輸送抑留を開始した他方強制拉致された我々はソ連全土に計画的に配置をされ国際保障とポツダム宣言の効力は鉄のカ−テンによって遮断され賠償に代る強制労働を科されニ年ないし十一年の永きに亘る飢餓と極寒零下五十余度の旋風の中で苦悩の極限に置かれた働かざる者食うべからずの鉄則と苛酷なノルマ制の下で食糧はソ連人の三分の一而も牛馬の飼糧にも劣る粗悪と労働を忌避する者は獄につなぐぞと銃を向けて威迫する等残酷悲惨正に生き地獄であった来る日も来る日も飢えと重労働の連続で刻一刻が死に直結した人類史上嘗てなき非人道的人権の蹂躙そのものであった生活環境は劣悪掘立小屋での起居枯葉を枕に腕枕南京虫と蚤に苛まれつゝも生きんがために木皮野草漁りはおろか馬糞までも食し飢えは肉体だけにとどまらず人の心も飢餓の底に沈んだが日本の心を失わず望郷の想いに慟哭した血と涙で綴られた万斛の辛酸を嘗めて辛うじて生還したが 生ける屍に襤褸をまとい案山子同然の姿で風を土産に夢にだに忘れ得なかった 懐かしい祖国の土を踏み生きて帰ったぞと人間として蘇生する鼓動をたしかめつつ人生こよなき歓喜に嗚咽したあの日は到底余人には理解できまいだが生死を共に地獄の洞穴に臥薪嘗胆生ける屍に銃剣とノルマで鞭打つての酷使なんという残虐の極みであろうか骨肉を削る言語に絶した苦悩の中にあって祖国日本に想いを馳せ肉親への愛情に縋りつゝ帰りたいとの執念も叶わず悲憤万斛の恨みをのみ遂に祖国の土をも踏めず斃れし幾十万人の心情を憶うとき今更ながら無情の感に耐えず痛憤の情を禁じ得ない
戦後ニ十余年を経た今日再び訪れる人もなく凍土に眠り悲憤の魂魄はシベリヤの昿野を彷徨する草むすかばねを想い在りし日の面影を
偲ぶ惟うに日本再建の重責はかくして課せられ今日の平和と繁栄はもたらされたが 生還した我々はこの貴き犠牲を瞬時も忘れ得ないされど既に我等が影老い朽ちんとすよって今生涯の心魂込め君が遺芳を永久に伝え慰霊となさんとの会員並びに有志の執念凝って茲に慰霊碑を建立する
祖国に代わりて還らざる貴き若き生命を朔北凍土に散らせし福山地方出身の君達よ今日よりは帰りきて安らかに瞑れと祈りつつ叙上虚飾なき事実を銘記して歴史の証言とし謹んで御霊を祭祀す 是時 
昭和五十五(1980)年十月十九日
        全国戦没強制抑留者協議会 広島県連合会福山支部長 高原 末光   
                選 慰霊碑 碑文起草委員



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