メレヨン島戦没者慰霊碑

  福山市丸之内の福山城公園に建立されている「メレヨン島戦没者慰霊碑」です。
メレヨン島全戦没者銘碑建立について  2000(平成12)年10月 中国地区メレヨン会 銘碑建設世話人会
  ここ備後護国神社頭の「メレヨン島戦没者慰霊碑」は1966(昭和41)年に建立された 以来メレヨン関係者の戦没者への慰霊鎮魂の象徴となっている この島での戦況は碑文で明らかなように戦争がもたらす特異な極限環境であった
しかし戦史には埋没されて多く語り継がれることなく必ずしも後世への戒めとはなっていない 慰霊碑はまことに象徴的に過ぎ 個々の戦没者への鎮魂の証としてはなお十分とはいえない メレヨン島では地上戦はなく転進もかなわず彼我両軍に見はなされ補給は杜絶 守備隊陸海軍七千余の将兵の八割近くが僅か一年有半(1944年3月〜1945年9月)の間にほとんど戦わずして疾病と飢餓に斃れた その惨状にもかかわらず 戦没者個々の氏名 没年月日などの調査掌握は他の戦場に比べ容易と判断され かねてから全戦没者銘碑の建立が提唱されていた しかしこの調査は戦後50年余を経た今日 極めて困難な作業であったが発議後三年にしてようやく可能な限りの確認ができ 慰霊碑の後背に建立することができた
ここに名実ともにメレヨン島全戦没者への慰霊弔魂の証が実現したことになる 広大な太平洋戦域の中で一つの独立した戦場で陸海軍将兵 軍属の全戦没者を刻名した碑は他にその例を見ないのではないか 
故郷に残した肉親への切なる想いを断ち切られながらも祖国の繁栄を念じながら 若く南溟の孤島に散華した戦没者の無念さを思うとき 遺族 生還者とも断腸の思いで哀悼と悔恨の涙を禁じ得ない 
戦争の世紀「ニ十世紀」はまさに終ろうとしている 「銘」とは深く永く心に刻むことである このときに当り戦没者お一人お一人の御名を称え その面影を偲び 当時の戦況に想いを馳せ あらためて 碑前に心からなる祈りを捧げ「過ちは繰り返しませぬから」の決意を込めて来るべき 新世紀への平和の誓いとする
戦没者の中には南溟の孤島メレヨン島守備のため南下中1944(昭和19)年1月11日豊後水道で撃沈された「江りい丸」198名にもおよぶ犠牲者の無念をはじめ メレヨン島から後送されて途中マリアナ海域で戦没した人々 1945(昭和20)年別府に帰還直後祖国の山河を見ながら恢復できず病没された人々も併せて刻名した その総数五千百有余柱となった また海軍指令宮田嘉信 陸軍旅団長北村勝三 陸海軍最高指揮官はその責に殉ぜられたことも特記する
現在ミクロネシア連邦のヤップ州の島々の中にメレヨン島があるそうです。
1944(昭和19)年春約6800名がそのメレヨン島に日本軍が上陸、一本の滑走路を建設しそれが唯一の軍事施設だったそうで、戦略上の重要度は低く、B29による(日本)本土爆撃が可能となるサイパンなどから米軍の目をそらす囮(おとりの施設)の意味合いが強かったそうです。
廣島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡」編という事からするとこの碑の建立が福山市という事から外れるかも知れませんが関連ということで、見ていただければ幸いです。
ここ備後護国神社に建立の複数の戦没者慰霊碑の中で、このメレヨン島戦没者慰霊碑説明板(2000年設置)にははっきりと『「過ちは繰り返しませぬから」の決意を込めて来るべき 新世紀への平和の誓いとする』と次の世代へ心強い言葉で碑建立の趣旨が記述されていました。
09.08.03裕・編集

09.06.06撮影
広島県福山市丸之内1-9   福山城公園

09.06.06撮影
第ニ次世界大戦の戦局が急を告げていた昭和十九年二月数度に亘り上陸した
海軍将兵及び軍属三千五百名と同年四月十ニ日上陸した陸軍将兵三千三百名
とより成る西カロリン群島メレヨン島守備部隊は寧日ない米軍機の爆撃に曝
されながら日夜防衛築城訓練に挺身したが戦況の悪化に伴い食糧医療品弾薬
の補給は意に任せず同年七月サイパン島の陥落に続いてグワム島などの守備
部隊が玉砕するに及び補給は全く絶え孤立無援となった 現地自活のための
懸命な農耕と漁勞にも拘らずサンゴ礁の土壌は農作に適せず不備な漁具によ
る漁獲は少なく食糧は日を逐うて窮乏し一時は主食一日一人百グラムの給食
となって生命保持の限界をはるかに割り全島に鼠トカゲ類の影を見ない状態
となった剰え熱病アメ−バ−赤痢等の風土病が蔓延し医薬品欠乏して斃れ
るものが続出し総員六千八百名のうち爆撃による戦死者を含め実に五千ニ百
名を失うに至った 私達は終戦最初の復員船回航のおかげで痩せ細った身を
辛うじてこの島から生還し得たがその中の一部は上陸直後別府病院で亡くな
った この島での一年有半の体験は私達の脳裏深く刻み込まれて終生忘れる
ことは出来ない 終戦からニ十年を経た今も尚私達は椰子の根元に埋葬した
多くの戦友達の慟哭を聞くそして断腸の想いを遠く南海の孤島に馳せ遺族の上
に思を致せば万感胸に迫って慰問の辞を知らない 茲に生還者一同相寄つて
メレヨン会を結成し亡き戦友の英魂を弔慰するため相扶けて陸軍部隊の主力
であった南洋第五支隊編成の地福山市を選びこの碑を建つ
 昭和四十一(1966)年四月十日 全国メレヨン会員一同  メレヨン島全戦没者銘碑

09.06.06撮影



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