(備後地区)拓魂碑

  福山市丸之内の福山城公園に建立されている「(備後地区)拓魂碑」です。
満州開拓の悲願に燃えて勇躍決起した満洲開拓青年義勇隊は北満の広野において極寒極暑と闘いながら敢然と開拓の鍬を振う 
然るに 壮図半ばにして或る者は病魔に冒され 或る者は戦場に赴き 終には敗戦という歴史的大惨事に遇い 君の悲願は一瞬にして壊滅した 拓友の多くは痛恨望郷の思いを込めて異国の丘に骨を埋めた 
  嗚呼痛ましい哉 
九死に一生を得て帰還した拓友相図り ここに碑を建て君の御霊を迎えて永遠に祀る 
国策に殉じた君の開拓魂は 平和国家日本の礎石として 永劫に光を放つであろう

   昭和四十八(1973)年三月
        元満洲開拓青年義勇隊備後地区生還者一同
満蒙開拓青少年義勇軍
1938(昭和13)年に満州に青少年を移民として送り出し、将来大規模経営の農業者を育成し豊かな農村を築きあげ、日満一体、民族協和の実をあげることを目的に閣議決定で設置が決まり、加藤完治(農本主義者:1884-1967)らにより組織され、1945(昭和20)年まで存続しました。訓練期間は3年、そのほとんどは満州での訓練であったが、このうち数ヶ月間の基礎訓練が、水戸市の内原訓練所で行われ、卒業者は約8万人で、すべてが15才〜19才で全国から選抜されました。
広島市の平和大通りに「拓友よ眠れ(広島県送出元満州開拓青年義勇隊物故者・碑)」をみていたので、福山にも碑銘は違っても満洲開拓青年義勇隊慰霊碑が建立されているのだと思いました。広島と福山では亡くなった方々の数に違いがありますが多くの青年が亡くなったことがわかります。1973(昭和48)年建立のこちらの碑銘は当時総理大臣であった田中角栄の揮毫でした。
09.07.31裕・編集

09.06.06撮影
広島県福山市丸之内1-9  (備後護国神社) 福山城公園















































この碑は昭和十三(1938)年から昭和十九(1944)年の間 広島県より送出された満洲開拓青少年義勇隊約五千人のうち中国大陸に於て短かい生涯を終えた六七七柱の霊を祀り再びかヽる事の起こらないため民族融和と恒久平和を祈念して備後地区生還者によって建立されたものである









臣 














09.06.06撮影



「その他」編


(平和大通りの)拓友よ眠れ・碑
(備後地区)拓魂碑
(向原)満蒙開拓青少年義勇軍之碑



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