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福山市丸之内の福山城公園に建立されている「(広島県)マリアナ慰霊碑」です。 |
碑文 |
戦後三十三年祖国は平和に蘇ったしかし最大の激戦地マリアナ諸島には多くの遺骨が殘されている一日も早く奉還するため全力を尽すことを誓うとともにマリアナ旧南洋群島中部太平洋に散られた陸海空総ての戦争犠牲者のご冥福と再び戦争のない世界恒久 平和を祈念してこの碑を建つ |
1978(昭和53)年7月18日 広島県マリアナ会 |
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※マリアナ諸島で起こった日米両軍の戦闘で、マリアナ沖海戦、サイパンの戦いなどで(日本の)絶対国防圏が破られました。 |
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2005(平成17)年6月27日サイパン島ご訪問ご出発にあたって天皇陛下は次のように述べられました。 |
『終戦60年に当たり、サイパン島を訪問いたします。サイパン島は第一次世界大戦後国際連盟の下で、日本の委任統治領になり、沖縄県民を始めとする多くの人々が島に渡り、島民と共にさとうきび栽培や製糖業に携わるなど豊かな暮らしを目指して発展してきました。しかし先の大戦によりこの平和な島の姿は大きく変わりました。1944(昭和19)年6月15日には米軍が上陸し、孤立していた日本軍との間に、二十日以上にわたり戦闘が続きました。61年前の今日も島では壮絶な戦いが続けられていました。食料や水もなく、負傷に対する手当てもない所で戦った人々のことを思うとき、心が痛みます。亡くなった日本人は5万5千人に及び、その中には子供を含む1万2千人の一般の人々がありました。同時にこの戦いにおいて、米軍も3千5百人近くの戦死者を出したこと、また、いたいけな幼児を含む9百人を超える島民が戦闘の犠牲となったことも決して忘れてはならないと思います。
私どもは10年前、終戦50年に当たり先の大戦で特に大きな災禍を受けた東京、広島、長崎、沖縄の慰霊の施設を巡拝し、戦没者をしのび、尽きることのない悲しみと共に過ごしてきた遺族に思いを致しました。また、その前年には小笠原を訪れ硫黄島において厳しい戦闘の果てに玉砕した人々をしのびました。
この度、海外の地において、改めて、先の大戦によって命を失ったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのび、世界の平和を祈りたいと思います。私ども皆が、今日の我が国が、このような多くの人々の犠牲の上に築かれていることをこれからも常に心して歩んでいきたいものと思います。
終わりにこの訪問に当たり、尽力された内閣総理大臣始め我が国の関係者、また、この度の私どもの訪問を受け入れるべく力を尽くされた米国並びに北マリアナ諸島の関係者に深く感謝いたします。』 |
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廣島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡」編という事からするとこの碑の建立が福山市という事から外れるかも知れませんが関連ということで、見ていただければ幸いです。
2005年(戦後60年)、天皇陛下がサイパンを訪問され事をTVニュースでみました。その時のお言葉を宮内庁の資料を参考にして掲載しました。敵として戦った米軍の戦死者にも触れられ、世界平和を祈っておられるお言葉でした。 |
09.08.05裕・編集 |