阿部正弘像

  福山市丸之内の備後護国神社に建立されている「阿部正弘像」です。
阿部正弘は、天保14(1843)年25歳にして江戸幕府老中になり教育に力を注ぎ、嘉永5(1852)年※老中筆頭に就き江戸と福山に誠之館(せいしかん)を建てる。
安政元(1854)年*日米、日英、日露の和親条約を結び開国し、近代文明国・日本の基礎を作る。また、学問のできる人材を広く重用して教育の重要性を昂揚し、日の丸を日本の国旗と制定した人でもあります。
阿部家十一代、福山藩主七代目の正弘は、当・阿部神社の御祭神であり、希望学校の合格、就職の祈祷を受けられ、石像を潜(くぐ)り希望をかなえてください。
(あべまさひろ)
阿部正弘:
(1819-1857)
幕末の老中。備後福山藩主。第5代藩主・阿部正精の5男、江戸生まれ。
1836(天保7)年第6代(兄の)正寧の養子になり隠居したので、第7代藩主に就任。1837(天保8)年福山へお国入り(国元へはこの1度のみであとは江戸詰)。1845(弘化2)年9月※老中首座となる。1854(嘉永7)年*ペリー(彼理:1794-1858)との間に日米和親条約を結ぶなど、開国政策を推進。1855(安政2)年に洋学所、海軍伝習所を創設。
わたしは、福山城主についての知識は疎いもので、阿部正弘のことは説明板を読んで知りました。昔々、日本史でペーリーとの日米和親条約で日本側の首座が阿部なにがしかと習ったようなかすかな記憶があるように?
09.06.28裕・編集

09.06.06.撮影
広島県福山市丸之内1-9 備後護国神社

09.06.06.撮影

09.06.06.撮影



「広島ゆかりの人たち」編



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備後護国神社
  阿部正弘像(石像)
  宮本武蔵腰掛石
(備後)福山城
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  (備後護国神社建立)阿部正弘像


「備後・福山」編





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