|
福山市丸之内の福山城公園に建立されている「水野勝成之像」です。
*わたしには作者がわかりませんので、ご存知の方のご教授をお待ちしています。 |
水野勝成之像
瀬戸内海の中央 福山湾岸に河口を開く 芦田川 その広漠たる干潟を埋めて城下町となし ここに城を定む
水野勝成は 天和元(1619)年備後十万石の藩主に封ぜられるや この町を開き 福山と命名す
移封以来 民政に意を用い 広く領内に池溝を開削し 干拓を行い 耕地の拡大に努め 芦田川を改修し 水道を穿ち 藩政の安泰に力を尽す また社寺を復興し 文化のミ揚を図り 今日の福山の礎を築く
市制六十周年の記念すべき年にあたり 銅像建立を発起し 先人の遺徳を偲び 明日への躍進を誓う
昭和五十三(1978)年四月建之 水野勝成公銅像建立期成同盟会 |
|
|
(みずのかつなり)
水野勝:
(1564-1651) |
江戸時代初期の大名。三河国刈谷の生まれたとされる。備後福山藩初代藩主。良碍
元和5(1619)年備中西南部と備後南部で福山藩10万石を与えられたが、当初の神辺城に代えて幕命で西日本の幕府側拠点として瀬戸内海に近い福山に新たな城(福山城)と城下町を築いた。 |
|
2009年福山城公園を訪ねた時は時間的なものもあり、この像を見ることもありませんでしたので10月の時にみました。像の作者がわからないかとみました、サインは見つけましたが誰かは(わたしには)わかりませんでした。 |
10.01.20裕・編集 |