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福山市丸之内の福山城(天主閣広場から)一段下広場西側に建立されている「阿部正弘之像」です。
*わたしには作者がわかりませんので、ご存知の方のご教授をお待ちしています。 |
阿部正弘之象
太平洋の波高く 幕末内外多難の時に際し 老中筆頭として国政を総覧し 近世幕藩体制における 鎖国の旧弊を断って 日米和親の条約を結び 開国への道を求め 近代国家への扉を叩く
阿部正弘は 福山藩阿部家七代の藩主にして 弱冠ニ十五歳で閣老に任じ 爾来十有四年 その開明的な政策を推進し 国政を整え もって国外に対応せり 福山藩主としては 庶民の中に人材を登用し 藩政を改革し 教育に明日の世代の形成を託して 藩校誠之館を開き 進んで西欧の学術をも取り入れ その後の福山文化の発展に貢献す
市制六十年の記念すべき年にあたり 銅像建立を発起し 先人の遺徳を偲び 明日への躍進を誓う
昭和五十三(1978)年四月建之 阿部正弘公銅像建立期成同盟会 |
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(あべまさひろ)
阿部正弘:
(1819-1857) |
幕末の老中。備後福山藩主。第5代藩主・阿部正精の5男、江戸生まれ。
1836(天保7)年第6代(兄の)正寧の養子になり隠居したので、第7代藩主に就任。1837(天保8)年福山へお国入り(国元へはこの1度のみであとは江戸詰)。
1845(弘化2)年9月老中首座となる。1854(嘉永7)年ペリー(彼理:1794-1858)との間に日米和親条約を結ぶなど、開国政策を推進。1855(安政2)年に洋学所、海軍伝習所を創設。 |
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2009年6月備後護国神社で阿部正弘(石)像をみましたが、時間的なものでこの像を見ることもありませんでしたので10月の時にみました。像の作者がわからないかとみて、サインはありましたが(わたしには)わかりませんでした。 |
10.01.21裕・編集 |