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福山市丸之内の福山城公園備後護国神社参道に建立されている「歩兵第ニ三ニ連隊慰霊・石燈籠」です。 |
慰霊
歩兵第ニ三ニ連隊(藤六八六五部隊) 戦没者慰霊祭記念 昭和四十三(1968)年八月一日
部隊略歴昭和十四(1939)年八月一日、福山歩兵四十一連隊内ニ於テ編成同(昭和14年)九月十三日軍旗拝授、中支ニ於テ赫々タル武勲ヲ樹テ終戦直前満州ニ転戦終戦ヲ迎ヘシベリヤニ悲憤ヲ呑ム |
昭和14(1939)年8月福山四十一連隊と第三大隊を浜田歩兵第二十一連隊にて編成、同(1939)年10月中支派遣武漢北方地区警備翌(1940)年5月宣昌作戦に参加し、各地で敢斗のその後、荊門(けいもん)並に当陽の最先端にありて優勢なる敵と対峙しながら、冬期山獄戦湖南湖北襄樊等あまたの作戦に参加、勇戦奮斗赫々たる武勲をたて屈指の精鋭部隊の名声は全軍に轟くも数多の戦友も失う、昭和20(1945)年5月急遽夜行軍にて泥濘の悪路を満州に転進、四平街北方にて(1945年8月15日)終戦の詔勅に接し、翌16日揚木材にて慟哭のうち軍旗を奉焼、 シベリヤに抑留極寒と重労働の斗いに遂に力尽き多くの戦友をを失う。祖国のため散華されし幾多の戦友の御霊をこの地に迎え、永遠の眠り安かれと念じ、もって世界の平和の灯たらんことを願いこの碑を建立す。
昭和59(1984)年5月13日 歩兵第ニ三ニ連隊戦友会 |
歩兵第232聯隊 藤6865部隊 大澤寅一書 昭和59(1984)年5月建之 |
藤6865部隊は、正式には第39師団歩兵第232連隊第6中隊だとか、(わたしは)正確にはわかっていませんが、碑文にもある多くの戦友を喪った無念を抱きながらこの法燈を備後護国神社に奉献されたのだろと思いました。
碑文には、世界の平和の灯たらんことを願いこの碑を建立す。とありますから。 |
10.02.17裕・編集 |