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竹原市中央に建てられている「竹原市役所」です。 |
広島県南部のほぼ中央、瀬戸内海に臨む市。近世に塩田酒造海運により発展。ブドウ赤煉瓦を特産。古い町並みが保存されています。市制施行:1957(昭和33)年11月3日。面積:118.30ku。
人口:30,712人(平成19年3月末)。
本庁舎は、1996(昭和41)年完成。鉄筋コンクリート造3階+地下1階。延面積≒5,200u。エレベータはない。(現在の耐震については、耐震強度が不足している) |
市章:竹を題材とし、竹の輪は市民の和を表し、三方に広がる笹は平和で豊かな繁栄を象徴しています。1963(昭和38)年選定。 |
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『老朽化が進み、耐震強度も不足している竹原市庁舎、(1)現庁舎の耐震改修(2)新築(3)合同ビルへの移転 各パターンを視野に入れ、新年度当初予算案に調査費を計上した。
竹原市は広島県の出先機関が3年前に撤退して、庁舎近くの「たけはら合同ビル」の活用を提起した。
1992(平成4)年建設の合同ビルは、2棟あり、その内の1棟地上6階、地下1階建て、スペースは5,934uあり十分と云うことから「現時点で優位性が高い」とした。』と云うことで、本(2112)年度中に結論を出したい』としていることを2012年12月15日付中國新聞報道で知りましたので追記しました。 |
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市民憲章 1968(昭和43)年11月制定 |
風光に恵まれ、文教のまちとして伝統を誇る竹原市は、いま内海開発の先駆として力強く立ち上がろうとしています。私たちは、産業、文化、教育が調和して発展する豊かなまちづくりのため、先人に学び、現代の中に未来を切り開く積極的な市民の誕生をねがい、明日の竹原市民のしあわせをつくり出す心のよりどころとして、この市民憲章を定めます。
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郷土の自然を愛し、平和な美しいまちをつくりましょう。
きまりを守り、信じあえる住みよいまちをつくりましょう。
働くことによろこびをもち、豊かなまちをつくりましょう。
老人をうやまい、青少年の夢をすこやかにそだてましょう。
健康なからだ、きれいな心で明るい家庭をきずきましょう。 |
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竹原市役所 塩田あと地
このあたりは、1960(昭和35)年まで竹原の基幹産業であった「塩田」が合ったところです。
もと竹原湾であったこの地に新開をつくり、赤穂の技術を取り入れて塩田をつくりました。以来竹原は塩業により発展し、人口も増加し、市街地も広がり、寺山のふもとに重厚な町並みをつくりました。製塩業で栄えた町の人は、和歌や俳句や儒学などの学問を行い町人文化の華を咲かせました。
1930(昭和5)年第一次塩田整理により95ha余りあった塩田の打ち22haを埋立、鉄道駅(1932年7月10日開業)、工場、住宅などになり、次いで1960(昭和35)年塩田の全面廃止により、堀も埋め立てられて道路となり、塩田あと地は次第に市街地化していきもと寺山のふもとにあった町の中心が、現在はこの塩田のあと地へと移行してきました。 |
仕事の関係で何度か来たことがある竹原市役所でしたが、この地が塩田跡だったは知りませんでした。女房に「竹原市役所:塩田あと地」の説明碑があると云われ、説明文を読んでそうだったのかと知ったのです。 |
12.12.16追記 09.08.31裕・編集 |
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