南部祥雲作:頼山陽像

  竹原市本町の本川根際の広場に建立されている南部祥雲作の「頼山陽像」です。
頼山陽 (らいさんよう:1780-1832)
江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人・書家。大坂出身。名は襄(のぼる)、字は子成、通称は久(ひさ)太郎、別号を三十六峰外史。春水の長男。
江戸に出て尾藤二洲らに学ぶも、性豪放にして遊蕩に日を送る。21歳の時、脱藩し直ちに京都から連れ戻された後は、自邸内に監禁。のち上京して書斎「山紫水明処」を営み、各地を遊歴、文人墨客と交わり、すぐれた詩文や書を遺した。その著「日本外史」は幕末期における歴史観、尊攘派に大きな影響を与えた。他に著「日本政記」「日本楽府」「山陽詩鈔」など。
頼山陽は、竹原を故郷としていました。それは、山陽の祖父・惟清(住居は現在の竹原市竹原町上市)の長男で(山陽の父)春水、春風、杏坪の三兄弟を輩出したことによります。
この頼山陽座像は、生誕200年を記念し頼山陽の玄孫(五代目)頼新(京都市在住)所蔵の像を拡大し、日府展評議員彫刻家・南部祥雲によって製作されたもので1980(昭和55)年7月19日に建立除幕が行われました。竹原人の心にはいつまでも頼山陽が生きています。頼山陽の功績を尊び有志が発起人となり多数の賛同者の協力を得て日本で最初の頼山陽像をここに建立したものです。
南部祥雲(なんぶしょううん:1947-    )
彫刻家。富山県井波出身。高岡工芸高校卒業。
高村光雲の弟子・米治一(1896-1985)に師事。日府展審査員。2005(平成17)年日府副理事長。京都三千院・観世音菩薩像など仏像彫刻多数。
1984(昭和59)年にわたしは、はじめて訪ねた竹原でした。(すでに建立されていた)この像の根際を歩いたはずなのにこの「頼山陽像」の記憶がないのです。広島が生んだ偉大な人物を知らず、頼山陽?何者?という無知だったからだろうと思っています。時はずいぶん過ぎましたが、広島ぶらり散歩「頼山陽関連」編を編集しだしてから竹原に行ってみなくてはとずっと思っていましたので、2009年になりましたが訪ねたのです。
09.09.06裕・編集

09.06.30撮影
広島県竹原市本町1 (本川根際の広場)

09.06.30撮影

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09.06.30撮影
頼山陽説明板



野外彫刻など」編



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「(安芸の小京都)竹原」編


頼山陽像
 頼山陽詩碑:不識庵機山を・・
 頼山陽詩板:朝日山





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