引接山 西方寺

  竹原市本町に建てられている「引接山・西方寺」です。
西芳寺は、もとは田中町に在る禅寺で地蔵堂の隣にありました。
現在地には、もともと禅寺の(普明山)妙法寺がありましたが、慶長7年(1602)に火災で焼失し、翌(1603)年、妙法寺跡のこの地へ移り、浄土宗に改宗しました。境内には、本堂、鐘楼、庫裡、法界地蔵堂、山門などの建築が建ち並び、境内の前面には、一見城郭を思わせるような壮大な石垣があって、錚々たる寺観を呈しています。
本堂は棟札により元禄15年(1702)に再建され、本堂の背面突出部は明治23(1890)年に付加されました。入母屋造、一重、平入、本瓦葺、前面と側面前方を吹抜とし、側柱には太い敷桁を載せるだけの簡単な構造をしており、江戸中期のこの地方の仏堂の典型的形式をもつ、貴重な建築で、須弥檀は禅宗様式です。
西方寺の境内南側に立つ普明閣は、舞台造の観音堂。京都の清水寺を模して宝暦8(1758)年に建てたといわれ、十一面観音像が安置されている。高台にあり楼上からは、竹原の家並みや瀬戸内海を一望することができます。
雨が降ったり、止んだりしていましたので、1984(昭和59)年はじめて西方寺を訪ねた時は、普明閣まで行ったのですが、今(2009年)回は立ち寄りませんでしたので、画像がありません次回竹原をぶらり散歩する時は忘れないように、眼下の竹原の町とともに撮影しなくてはと思っています。
09.09.16裕・編集

09.06.30撮影
広島県竹原市本町3-10-44

09.06.30撮影

09.06.30撮影
1702(元禄15)建造といわれている本堂



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「(安芸の小京都)竹原」編





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