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竹原市本町の“竹原市歴史民俗資料館”根際でみた「地割・跡」を取り上げました。 |
江戸時代の地割(じわり) |
竹原の町並みは、江戸時代の面影をよく残していますが、それは竹原に伝えられている江戸時代の地図などからもみることができます。
江戸時代の竹原の地割を描いた1718(享保3)年の惣絵図(そうえず)をみると、その中に記されている道路の長さと現在残っている道路の長さが一致することから、道路がこの時代から全く動いていないということが確かめられます。
また、1660(万治3)年の「竹原下市町屋敷間詰之帳」に記載されている家の表口の寸法を足していき、現在の住宅区画の長さと比べるとおおむね一致していることも確かめられます。つまり、少なくとも1660(万治3)年にはこの街並みの基礎はできていたといえるでしょう。
その後多少の変遷を経ながらも、現在まで江戸時代の地割をほぼ残してきました。
歴史民俗資料館の両脇にある水路も江戸時代から続く地割の名残と思われます。 |
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竹原市歴史民俗資料館に入る前には気がつかず、展示の資料をみていると「地割」の説明板があり竹原市歴史民俗資料館の両脇にその名残が残っていることを知りさつえいしました。また町の中にかけてあった「江戸時代の(竹原)下市村絵図」がありましたので、現在と変わらない地割が絵図とはいえ少しばかりわかるのではと撮影しました。 |
09.09.23裕・編集 |