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竹原市本町に建てられている「春風館」と「復古館」をこの頁で取り上げました。 |
「復古館」は(春風館の西側に隣接して、「兼屋」と称して)、1853(安政6)年に頼春風の養子・小園が三男の三郎を分家、独立させた建物です。主屋の建物は、春風館と同じく、茶人・不二庵の設計によるものと伝えられ、木造切妻造二階建、本瓦葺の数奇屋建築です。
大小路の通りに面した店棟は、1883(明治16)年の建築で、入母屋造二階建で、一階部分に広い土間をとり、店の間には「ぶちょう」(あげ戸)がそのまま残っています。みせ棟から母屋棟への空間が坪庭となり、その二棟をつなぐ玄関の間によりH型となっているそうです。母屋の座敷より縁側で囲まれた庭の北側に、揚縁でつながれた茶室(祠堂:1904=明治37年建築)があり、敷地内には、幕末から明治にかけて酒造業を営んでいた頃の臼場・米蔵・室蔵・新座敷(現・光本邸)が配されているそうです。
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2004年10月から2007年4月にかけて中國新聞に掲載された見延典子さんの新聞小説「頼山陽」を楽しみに読んでいたわたしは頼山陽につながる人々もわずかですが知っていましたので、春風館に立ち寄ってみようと思っていたのです。
元鼎(もとかね)が若くして亡くなり、小園を養子に迎えたことは知っていましたが、その三男が分家してここに住んでいたことは「復古館」を訪ねるまでは知りませんでした。 |
09.09.27裕・編集 |
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09.06.30撮影 |
広島県竹原市本町3-7-24 (復古館から春風館をみる) |
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春風館頼家住宅:国指定重要文化財 1988(昭和63)年12月19日指定 |
主屋1棟、長屋門1棟、裏座敷1棟、納戸蔵1棟、米蔵1棟、附土塀4棟、臼場1棟宅地:985.12u、
構造形式:主屋・木造、切妻造、本瓦及び桟瓦葺 |
「春風館」は、頼山陽の叔父、頼春風(1753-1825:通称松三郎、名惟彊、字千歳)の家です。大阪で医学と儒学を学び、1773(安永2)年竹原に帰郷し医業を開業しました。1780(安永9)年に塩田経営に乗り出し、1781(天明元)年に春風館を建築しました。春風は家業のかたわら、学問にも力を入れ、町の子弟の教育にあたり、1793(寛政5)年「竹原書院」の設立に努力し、竹原の文化の向上に尽力しました。春風は兄・春水や弟・杏坪の出世と活躍の影で始終竹原で家業を守り、春水没後その嗣子(山陽の長子)聿庵の後見役となり、藩から七人扶持を与えられ、御医師格となりました。1781(天明元)年建築の建物は1854(安政元)年に焼失し、1855(安政2)年再建されました。長屋門と玄関構えをもつ武家屋敷風の建物だけが土間を持っています。奥に祠堂として茶室を持ち数奇屋風の意匠に統一され、茶人・不二庵の設計と伝えられているそうで規模の大きな上層の町屋の特徴をよく示しています。 |
14.06.05再編集 14.05.09更新 09.05.31裕・編集 |
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09.06.30撮影 |
広島県竹原市本町3-7-24 春風館から復古館をみる |
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09.06.30撮影 |
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この頁に掲載していた「資料館展示の春風館模型の画像」を2014年削除した経緯 |