(大竹油見の)壹里標

正面: 壹里標
側面: 従是東廣島區内元安橋東詰標木(迄)九里 ※(迄)はシンニュウに占と刻まれています
側面: (刻まれている文字がわたしには読めませんでした)
裏面: 明治十八年八月 ※明治18年=1885年
<街道の道しるべ>油見の壹里(一里)標                大竹市教育委員会
江戸時代の西国街道は、大野から四十八坂を越え(大竹)市内に入り、鉾の峠・馬だめし・苦の坂などと、山坂の多い難路でした。
明治維新後、街道を平坦な海岸沿いに移す計画が浮上。廿日市〜大竹間の工事は、小方の和田吉左衛門氏の采配のもと、その費用の大半を地元で負担して明治13(1880)年に完成しました。
新街道では、旧西国街道の「一里塚」に替って、御影石造りの道しるべ「一里標」を。開通した5年後に設置しました。その中の一つで、この一里標は、刻まれている里程からみて、かつて油見三丁目あたりに建っていたものと思われます。
2007年に廿日市で壹里標をみて、頁を編集しました。その道標は、元安橋から4里で、大竹村大和橋西詰まで5里13丁56間2尺2寸となっていました。
廿日市からここで取り上げた大竹の壹里標まで(9-4=)5里であり、大和橋西詰(芸州の西端)まであと13丁56間2尺2寸ということですね。大竹市立図書館横にこの道標を大切に保存しようという強い意志を感じるのですが、(わたしの勝手な願いではあるのですが)道標はもともとあった場所付近に据えられる事が、明治時代の(大竹市の)道路事情をいまに伝えるものとなりはしないかと思ったりします。
   関連頁:(廿日市の)壹里標
 11.06.30裕・記編集

11.06.02撮影
広島県大竹市立戸1-6-1 大竹市立図書館横

11.06.02撮影



「道標など」編



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移設展示の(大竹油見の)壹里標
三上良平作:わかたけ


「大竹市」編





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