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大竹市白石の大瀧神社に再建されている「平和塔」です。 |
正面: |
平和塔 |
裏面: |
大蔵大臣 池田勇人 (*元首相:1899-1965) |
台座: |
一六會員初老記念 一六會員(会員名簿)昭和14年6月吉日 |
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(別)石柱: |
昭和18(1943)年1月神馬應召 昭和27(1952)年8月 平和塔再建 |
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(おうしょう)
応召: |
[名](スル)呼び出しに応じること。特に、在郷軍人などが召集に応じて軍務につくこと。 |
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1942 (昭和 17)年6月ミッドウェー海戦に敗れ、戦局に一大転機をもたらしたあくる年(1944年)正月に建立された神馬像だったのでしょう(長方形の台座からも)それがうかがえます。
その後、1945(昭和20)年8月15日敗戦、戦後も間もない1952(昭和27)年に、平和の塔として再建することになり、揮毫を広島県出身で当時大蔵大臣であった池田勇人に依頼したのでしょう。 |
大瀧神社への参道の石段前に建立されていた「平和塔」をみましたので近づきました。経緯は上記のようなものでしょうが、この形に近い出征軍人碑などをみてきて玉の上には鷹(あるいは金鵄)が乗せられていた戦前だったようですが、戦後再建のこの塔には鳩の像が乗せられていました。心は平和を願っている事は確かでしょうが、戦前の郷愁を引きずっている記念塔だな〜〜と思いながら(わたしは)みあげました。 |
11.07.11裕・記編集 |