|
大竹市白石の大瀧神社に建立されている「支那事変 氏神参道改修記念碑」です。 |
正面: |
支那事變 氏神参道改修記念碑 |
|
裏面: |
發起人 大竹町長 中川出來太郎 世話人大竹町會議員(18明名前) |
|
側面: |
昭和十三年六月建之 |
*昭和13年=1924 |
|
|
|
|
(しなじへん)
支那事変: |
日中戦争に対する(当時の)第1次近衛内閣が閣議決定で定めた正式名称。 |
(にっちゅうせんそう)
日中戦争: |
1937(昭和12=中国側・民国26)年7月7日の盧溝橋事件をきっかけにして起こった日本と中華民国(蒋介石政権)との間の戦争。
はじめ日本政府は支那事変あるいは日支事変とよび、宣戦布告も行わなかったが、戦線は全中国に拡大、太平洋戦争に発展しました。日華事変。 |
|
支那事変(出征軍人)記念碑?だったのかもしれません、大瀧神社の参道改修記念だけなら何も「支那事変」と額に入れた文字を刻むことはなかったのではと考えながらみました。大竹町長が発起人となり、建立世話人が町会議員という処に、戦意高揚の意味があったのだろうと思いながらこの碑をみました。
戦後、民主主義教育のためと戦前建立の石碑がいろいろと壊されたという事を聞きますが、戦前日本が歩んだ戦争への道を冷静に考える上からもこのように石碑は残されていかなくてはならないと(わたしは)常々思っています。 |
11.07.13裕・記編集 |