(大竹)疫神社

  大竹市元町に鎮座している「疫神社」です。
疫病が流行り鎮めるために疫神社と名付けられたのかと思います。
ただ、境内に由緒板がないようでしたので、確かなことは(わたしには)分かりません。
疫(えき)=伝染して流行する病気。はやりやまい。えやみ。
疫(え)=疫病。特に、悪性の伝染病。えやみ。
大瀧神社の由緒を広島県神社誌でみると『大瀧神社は、推古5(597)年多岐津姫命が弥ヶ迫(いやがさこ:現在の元町4丁目)に鎮座されたのが創祀と伝えられる。その後元亀元(1570)年七ッ畔に遷座・・・』とあります。
ここ疫神社は元町4丁目にあり、境内に厳島明神が腰掛けられたと伝えられている腰掛石があることから、大瀧神社が遷座されていかれた跡地にこの地区の人々によって疫神社が創建されたのだろうと(わたしは)考えましたが。
今回の大竹ぶらり散歩の計画をたてた時、(山口県)JR和木町から国境の大和橋を渡り、小瀬川沿いに上流に行いって広島新四国八十八ヶ所霊場第四番薬師寺に行くようにしたのです。
そろそろ薬師寺だなと思った時にみたのが「中川出来太郎之碑」「道標」でした。そこからすぐの薬師寺手前にこの疫神社が鎮座されていましたので、参拝しようと立ち寄ったのです。
狛犬も参拝の人を迎えてくれますが、ここ疫神社には、砲弾を載せた碑(塔)が左右対にありました(戦前に奉献されたもののようでした)。
 11.07.29裕・記編集

11.06.02撮影
広島県大竹市元町4-12-11付近

11.06.02撮影
疫神社拝殿 と (恵比須社・大治社の社殿)

11.06.02撮影

11.06.02撮影
疫神社本殿

11.06.02撮影

11.06.02撮影
奉獻塔 ストーンアートと石燈籠 弁天様?(巫女さん??)

11.06.02撮影
明神腰掛石 摂社:恵比須社、大治社 報神恩



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