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広島県大竹市本町と山口県和木町瀬田の小瀬川に建設されている「中市堰」です。 |
国土交通省中国地方整備局の資料によると中市堰について次のように解説しています。
『安芸国と周防国の国境をめぐる紛争(洪水のたびに川の流れが変わるため)が解決するまで、両国とも政治的配慮で、直接小瀬川から農業用水を取り入れることはできませんでした。
その後、享和の和議(享和元年=1801年)が成立して、ようやく取水できるようになりました。
ただし、当初は土嚢を積み重ねるだけの物(簡易な堰)で、村人総出で行わなければならない上に、洪水に見舞われると流されるため、用水は不足がちでした。
このため三分一源之丞(?-1840)は、天保年間(1830-1844)、江戸で見た噴閘(ふんこう:サイホンの原理をもちいた)を参考にして改修工事を行いました。その構造は、小瀬川の川幅54間(現在の位置約100m)、この間に広さ5間(約9m)にわたって舗石を沈め、石の間に52本の支柱を立て(流量による振動と水の圧力を防ぐため、全部の支柱に支木を施して)、その支柱の間に堰板をはめ込んで水を止め、中央部の2間(約3.6m)は船通しとして利用するものでした。
この構造は、堰止め、堰外しともわずか10人程度の労力で足りたということで、堰の管理は、中央部より左岸側は大竹村、右岸側は和木村によって、両岸堤防止に小屋を作って資料を保管して行われたそうです。
天保年間(1830-1844)につくられた中市堰は、長年にわたってその役目を果たしていましたが、昭和26(1951)年10月14日のルース台風で流出しました。 その後、可動堰に改良されたものの老朽化が進み、その機能は著しく低下し、そのうえ川底も高くなり、治水上の問題が生じてきました。そのため、1.安全(安全な流下)、2.塩害の防止、3.取水位の確保、を目的とした新しい堰が計画され、平成5(1993)年完成しました。』 とあります。 |
ゲート型式 |
魚腹型式鋼製転倒ゲート |
堰長 |
102.8m |
ゲート天端高 |
T.P.2.640m |
ゲート径間長 |
29.100m |
ゲート敷高 |
T.P.0.000m |
魚道 |
両岸設置(階段式魚道) |
ゲートの門数 |
3門 |
歩道橋 |
下路式:プレートガーターI桁橋 |
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(山口県)JR和木駅から大和橋を渡って大竹市に入ろうとした時、上流に堰(の上の歩道橋も)をみました。広島新四国八十八ヶ所霊場第四番薬師寺に行くようにしていましたので、途中で撮影出来れば撮影しようと思ったのです。
途中、小公園の片隅に「大竹圭閘堰碑」をみましたので、この辺りが堰なのだろうと、小瀬川の方に行きました。するとここでも掲載しています「小瀬川中市堰のあゆみ」という大きな説明板をみて、現在の中市堰が1993(平成5)年完成したことがわかりました。 |
11.07.31裕・記編集 |
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11.06.02撮影 |
山口県和木町瀬田2 と 広島県大竹市本町3 の間に設置の中市堰を大和橋からみました |
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11.06.02撮影 |
魚道と中市堰 (堰上、下流側に架橋の)中市堰歩道橋 |
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11.06.02撮影 |

11.06.02撮影 |
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11.06.02撮影 |
国土交通省が設置した「小瀬川中市堰のあゆみ」説明板 |
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11.06.02撮影 |
改築前の中市堰:説明板の画像を使用しました |
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11.06.02撮影 |
中市堰のゲートの据付作業:説明板の画像を使用しました |
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11.06.02撮影 |
1992(平成4)年7月中市堰・本体工事完成:説明板の画像を使用しました |
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