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大竹市本町と山口県玖珂郡和木町を結び小瀬川に架かる「大和橋」です。 |
「芸州小瀬川合戦略図」1886(慶応2)年「土橋引テナシ」と記されてあり、「引テナシ」とは四境の役(芸州口の戦い)時、長州軍がこの土橋を取り払ったものと思われます。
これ以降の記録では、1880(明治13)年の架橋から始まり、「大和橋」の名前はその頃に付けられたものですが、以後40年間1925(大正14)年まで洪水による流出、架け替えが続いたものと思われます。1926(大正15)年2月に鉄筋コンクリート橋に架け替えられ、1951(昭和26)年10月ルース台風により中間部を流失しましたが、2年後の1953(昭和28)年に修復されました。「大和橋」は、下流の「栄橋」が1942(昭和17)年に完成するまで、和木・大竹を結ぶ唯一の橋として、また、国道筋として重要な役割を果たしていましたが老朽化が進み、1997(平成9)年10月に現在の橋に架け替えとなったものです。 |

和木町側に設置の説明板 |
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「大和橋」が歴史に登場するのは、1886(慶応2)年長州の役(芸州口の戦い)において、和木側で軍を構えた長州軍が、現在の場所に架かっていた土橋を取り払ったという記録が最初です。その記録はについては、1880(明治13)年の木造橋の架橋から始まり、その後は、流失、修繕を繰り返しています。「大和橋」の橋名は、1886(明治19)年の架橋時によるもので、大竹と和木の連携を高める意図により、両地域の頭文字を組み合わせて名付けられたものです。
「大和橋」はその後、1926(大正15)年2月に鉄筋コンクリート橋に架け替えられ、1951(昭和26)年10月ルース台風により、中間部を流失しましたが、2年後の1953(昭和28)年に修復され、大竹市、和木町を結ぶ重要路線として利用されてきました。しかし、老朽化が著しくなり、1997(平成9)年10月に新橋に架け替えとなったものです。 |

大竹市側に設置の説明板 |
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橋格 |
一等橋 |
上部構造 |
ポストテンション方式 PC4径間 単純T型 |
橋長 |
107.6m |
下部構造 |
橋台:逆T式橋台 |
幅員 |
16.0m(車道10m、歩道3m×2) |
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橋脚:小判張出梁付橋脚(3基) |
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大和橋の名称が、大竹の大、和木の和を、とって名付けられたと聞いています。
JR和木町で降り、この橋を渡る前にみた、和木町側の説明板だったのです。渡ってから大竹市にも設置されていた、親柱と説明板、同じ文だろうと思って撮影だけはして置こうとした時、碑文の出だしが違うことに気が付いたのです。
明治維新1868年以来、この橋が架橋された1997年まで百年以上もたっていますが、長州の役の遺恨が残っているのかと思いましたが、橋の中間部でみた「祝21世紀 大竹・和木 ミレミアムイベント』のプレートをみた時何とか新世紀を和睦の世紀にしようとしているように(わたしは穿った見方なのでしょうがそう思って)みたので、撮影しました。 |
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11.08.11裕・記編集 |