舞鶴引揚記念公園・憩いの広場

  京都府舞鶴市字平の引揚記念公園の一角に整備されている「憩いの広場」です。
※2015(平成27)年シベリア抑留と引揚の資料が、「ユネスコ世界記憶遺産」に認定された機会に全面リニューアルされました。(ここで編集している記事は古いものになっている個所も多々あるでしょうからお含みおき下さい)
※  この憩いの広場は、再び繰り返してはならない戦争の悲劇、悲惨な引揚の史実を後世に伝え、平和の尊さを語り継ぎ、共に未来を見つめる場として、つくられています。
西にのびる園路は、空を映す水盤、石のベンチを経て、平和と繁栄を象徴する「聖牛の角」をかたどった石のモニュメント壁に至ります。
北には古代ギリシャ・ローマ時代の円形神殿をほうふつとさせる、方位盤を埋め込んだ円形広場があります。平和の鐘塔カリオンモニュメントから、斜めに伸びる石敷きの眺望軸は、彼方の舞鶴港と東舞鶴市街を指し示します。
北の階段を登り「展望広場」への道をたどれば、この広場全体がよく見わたせ、平和を主題とした各施設の特色が見い出せます。
舞鶴引揚記念館は、1988(昭和63)年引揚に関わる一連の資料を展示する施設として引揚記念公園の中に建設されています。
舞鶴港は、戦前、戦中旧海軍の舞鶴鎮守府の軍事的拠点でしたが、戦後は大陸に進駐していた軍人・軍属や一般人の日本本土への引揚、および日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港のひとつとなりました。さらに、日ソ中立条約を一方的に破棄し侵攻したソ連軍によってシベリアに不法抑留されていた旧軍人も、舞鶴港へ帰還しました。他港が早々に引揚港から除かれ、引揚の人々のほとんどが、舞鶴港を入港先・帰還港となりました。
引揚記念公園は、引揚者用の桟橋が設置されていた平地区を見下ろす丘に舞鶴市と京都府により、1969(昭和44)年11月に着工し、1970(昭和45年)3月完成しています。
時間が決まったバス旅行、公園で各モニュメントをのんびりと観ながらというわけにはいかず撮影だけでもと思い撮影しました。各説明は引揚記念館の資料を参考にしました。
09.06.15裕・記編集

06.08.11撮影
京都府舞鶴市字平引揚記念公園内憩いの広場案内図
憩いの広場
 この広場は、再び繰り返してはなら
ない戦争の悲劇、悲惨な引揚の史実を
後世に伝え、平和の尊さを語り継ぎ、共
に未来を見つめる場として、つくられ
ています。
 西にのびる園路は、空を映す水盤、石
のベンチを経て、平和と繁栄を象徴す
る「聖牛の角」をかたどった石のモニ
ュメント壁に至ります。
 北には古代ギリシャ・ローマ時代の
円形神殿をほうふつとさせる、方位盤
を埋め込んだ円形広場があります。
 平和の鐘塔カリオンモニュメントか
ら、斜めに伸びる石敷きの眺望軸は、彼
方の舞鶴港と東舞鶴市街を指し示します。
 北の階段を登り「展望広場」への道
をたどれば、この広場全体がよく見わ
たせ、平和を主題とした各施設の特色
が見い出せます。

06.08.11撮影
円形広場(古代ローマの円形神殿をモチーフとして作られ、中央には方位 盤が埋めこまれています)

06.08.11撮影
舞鶴引揚記念館とカリヨン

06.08.11撮影
カリヨン
平成7年、戦後50周年に設置したもので、高さ7.5m、12鐘で四季に応じた曲目を30分毎に奏でるそうです。

06.08.11撮影
石のモニュメント
(主軸の西側に位 置し、古代ヨーロッパ地方の平和と繁栄の象徴であった「聖牛の角」をデザイン化) と水盤

06.08.11撮影
水盤
軸上に位置し、黒御影石で作られ、表面 を緩やかに水が流れる。

06.08.11撮影

06.08.11撮影
駐車場と芝生広場



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