はつかいち まちや あと
廿日市町屋跡

  廿日市市廿日市に設置されている「廿日市町屋跡・碑」です。
*この碑は、佐伯郡廿日市町町屋の発掘調査を行ったことでわかってきたことを記述しています。
廿日市町屋跡 廿日市町屋は寛永15(1638)年の地詰帳(土地台帳)によると、旧廿日市の市街地を東西に走る西国街道を中心に近世初頭には確立していたことが知られています。
幕末の、慶応2(1866)年第二次長州戦争時には広島藩士により長州軍の廿日市通過阻止と士気を高めることを目的として、町屋に火が放たれました。この火により町屋は三日間燃え続き焼失した部分は当時の町屋の三分の二に及んでいたとされています。
この度都市計画道路廿日市駅通線整備事業に伴い(財)広島県埋蔵文化調査センター・市教育委員会がこの町屋跡の発掘調査を行い溶解した瓦片等が出土したことから、これらの史実が裏付けられました。
写真は発掘調査を行った時の第一面の遺構であり赤褐色に変熱を受けたタタキ(土間)や建物の基礎等の一部を確認することができました。
平成11(2000)年2月 広島県
廿日市本陣跡をみてさて昼食を何処でと会長などと話しながら歩いていたときに目に留まったのがこの説明碑でした。
読むと長州戦争の時に焼失した町屋(この辺り)の発掘をしたという事がわかりました。
07.05.12裕・記編集

07.04.12撮影
広島県廿日市市廿日市2-8附近

07.04.12撮影
説明碑の写真と図面を使用しました



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