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安芸郡海田町寺迫にある「(宗教法人出崎森神社)小さくら保育所」です。
※保育所の前に二宮金次郎像が建立されています。 |
最近は幼児・児童への卑劣な犯罪をたびたび耳にしますので紹介しないほうがいいのかとも思っていましたが、二宮金次郎の像が設置されていたな〜と編集しました。
入口の石碑で1950(昭和25)年3月3日創立されたことを、二宮金次郎像台座の銘版で1955(昭和30)年7月設置されたことがわかりました。 |
昨(2006)年この隣の井崎森神社を訪れ撮影して帰ろうとしたとき、二宮金次郎の像に目が留まったのです。小さくら保育所ということはわかりましたが、帰宅後海田町のことを調べて、そうだったのか、出崎森神社が創立した保育所だったのかとわかったのです。 |
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『保育所とは、小学校に入学する前の児童を保育し、その心身の健全な発達を図ることを目的とした施設です。』 |
資料は海田町福祉保健部福祉課の資料を参考にしました。 |
07.01.17裕・記編集 |
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06.05.06撮影 |
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広島県安芸郡海田町寺迫2-15-25 |
昭和25年3月3日創立 |
一日不勞一日不食 |
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06.05.06撮影 |
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06.05.06撮影 |
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二宮金次郎像 |
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06.05.06撮影 |
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二宮金次郎像 |
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昭和30年7月吉日(寄贈) |
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にのみやそんとく
二宮尊徳
(1787-1856) |
江戸後期の農政家。通称、金次郎。相模国の人。
合理的で豊富な農業知識をもって知られ、小田原藩・相馬藩・日光神領などの復興にもあたる。その陰徳・勤倹を説く思想・行動は報徳社運動などを通じて死後も影響を与え、明治以降、国定教科書や唱歌などにも登場。 |
ほうとくしゃ
報徳社 |
1843(天保14)年二宮尊徳の指導のもと小田原に設立された農民扶助のための相互融資機関。尊徳の死後も門弟により各地に相次いで設立され、独立自営農民を主体とする結社として明治維新以降も発展、1924(大正13)年大日本報徳社の結成に至った。 |
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