(戸坂の)札場の石

  東区戸坂出江の戸坂公民館根際に移設展示されている「札場の石」です。
札場の石の由来記
戦国の世に戸坂入道道海という武士が茶臼山※に居城していた。
その因縁で寛文年間(1661-1673)の地名改めに際し村名を戸坂と名づけたものであると口碑は伝えている。そのころ辻番所の高札を山根石橋の下の三叉路に建てその側に休み石として据えおかれ往き来の人の腰と肩荷を休めてくれたのがこの石である。
その後、幾百星霜の間村人たちから札場の石として愛称されてきたものであるが、昭和三十(1995)年四月十日戸坂村が広島市に編入するに当りこの地に移したものである。
昭和四十(1965)年四月十日 四十会同人記
戸坂氏: 室町時代(1336 - 1573)に現在の東区戸坂あたりに「戸坂(へさか)」を名乗る武士がいたそうです。
鎌倉時代(1185頃-1333)に源頼朝は、日本全国に守護を置き、安芸国(現在の広島県)には甲斐国(現在の山梨県)の武田氏を守護として任命しました。
おそらく戸坂氏は武田氏と縁ある家来として武田氏に従い安芸国まで来たのではないかと考えられています。そして、武田氏が武田山に銀山城を築いたのに対して、川をはさんで向かい側になる戸坂の茶磨山(ちゃすりやま)(現在の牛田山)※に戸坂城を築いて守りを固めたものと思われます。
2年ほど前からしばしば戸坂に行くようになり、この「札場の石」の説明文を読み、戸坂が人の名前からつけられたものと知ったり、札場のことを知ったりし、撮影していたのですが、画像をなくしたりしましたので、今になりましたが改めて撮影し頁に編集しました。
08.04.22裕・記編集

08.03.12.撮影
広島市東区戸坂出江2-10-26 (戸坂公民館根際)

08.03.12.撮影

08.03.12.撮影
「札場の石」と「札場の石・表示石碑」

08.03.12.撮影
「札場の石・表示石碑」  平成7(1995)年4月10日    戸坂連合福祉協議会
戸坂村が広島市に合併して40周年の節目にあたり史的由緒あるこの札場の石の表示するため建立する
(ふだば)
札場:
高札・制札を立てる場所。
(こうさつ)
高札:
法度(はつと)・掟書(おきてがき)、罪人の罪状などを記し、人通りの多い所に高くかかげた札。
室町時代からあったが、江戸時代に最も盛んに行われた。制札。立札。たかふだ。
(せいさつ)
制札:
一般に知らせる禁止事項や伝達事項を書いて、路傍などに立てておく札。たてふだ。


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