(池田勇人遺愛の)朝鮮燈籠

  中区基町の池田勇人銅像後側に建立されている「(池田勇人遺愛の)朝鮮燈籠」です。
正面           池田勇人 遺愛
朝鮮燈籠 一基
   寄贈者池田満枝
側面    昭和四十五年十二月
昭和45年=1970年
どうも朝鮮燈籠と云う一つの型があるわけではないようで、朝鮮より渡って来た燈籠、または朝鮮にある燈籠の写しと云う意味で朝鮮燈籠という言葉を使っているようです。
朝鮮燈籠にも基本型・変化型があるようで、共通している特徴は全ての部分が重厚で中台が比較的小さいことなどで、どことなく日本の燈籠とは違う異国情緒というものが感じられる燈籠を云うようです。
(池田勇人遺愛の)朝鮮燈籠は高句麗型朝鮮燈籠のようですがわたしには断定できませんが。
池田勇人(いけだはやと:1899-1965)
1899(明治32)年広島県竹原市生れ。 京都帝國大卒。
1952(昭和27)年通産大臣になるが「貧乏人は麦飯を食え」の失言(といわれていますが本音だったのでは?)で辞職。 1960(昭和35)年自由民主党総裁となり内閣を組織すること三度。『寛容と忍耐』を政治姿勢とし所得倍増政策を推進したが在職中の1964(昭和39)年病気で辞職。 1965(昭和40)年死去 正二位大勲位。
わたしは、池田元総理をTVでしか見たことがありませんが、この灯篭を寄贈された池田満枝さん(2001年死去)は池田元総理の奥様で、娘(次女・紀子さん)婿の池田行彦(1937-2004)元外相の選挙応援をされていた姿を竹原で拝見したことがあったことをこの灯篭で思い出しました。
2006年この頁を編集し、広島城東に建立されている池田勇人銅像の後ろ側と記述していましたが、その画像がないので、2012年撮影していました。2013年のいまになりましたが、画像を加え再編集しました。
13.01.13再編集   06.04.21裕・記編集

12.04.13.撮影
広島市中区基町21 (広島城東に建立されている池田勇人銅像の後ろ側)

06.02.18撮影

12.04.13.撮影

12.04.13.撮影



「石燈籠など」編



広島ぶらり散歩へ
池田勇人銅像
(池田勇人遺愛の)朝鮮燈籠


「広島城附近」編





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送