原爆供養塔の略沿革

  わたしは、2001(平成13)年から原爆供養塔に頭をたれ撮影してきましたが、最近原爆供養塔の横に以前は無かった折鶴に直接雨が当たらないように屋根がかけられていることに気が付いたのです。
いつその工事がされたのかわからなかったので、調べてみなくてはと思っていたのです。わが区の図書館で「慰霊の記録 原爆供養塔」広島戦災供養会発行の冊子をみて借りてそれを参考にこの頁を編集しました。
冊子には原爆犠牲者の遺骨収集の経緯が詳しく記してありますが、わたしのこの頁では触れていません、広島市が2005年設置した新しい説明板を撮影しています小さい字ですが経緯がわかるのではということだからです。
2012年2月になって訪ねた平和記念資料館・東館で『2011年度第2回企画展(2012年2月3日〜7月9日)「広島、1945-写真が伝える原爆被害-」』が行われていました。
展示のパネルの中に、「平和塔と元安川」という佐々木雄一郎氏撮影のパネルがありました。これをみた時、原爆供養塔の略沿革にある、初代の供養塔で、根際の(NO MORE HIROSHIMASと書かれている)建物は仮の納骨堂だろうと思いましたので、(フラッシュを焚かずに)撮影し、この頁に追加し更新しました。
12.02.10更新   07.11.06裕・記編集
   関連頁:(昭和42年まで住職がお世話なさっていた)養徳院
1945 昭和20年8月6日 8時15分米軍原子爆弾投下
昭和20年8月8日〜 爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、そこには、氏名、年齢、性別などほとんどわからない痛ましい無数の死体が運ばれ火葬されました。
1946 昭和21年1月 宇品神田3丁目養徳院住職・国居道憲、呉市西辰川町白蓮寺住職・吉川元晴らが原動力となって、広島市戦災死没者供養会が設立され、名誉会長に浅野公爵、会長に広島市長が就任しました。
昭和21年4月29日 慈仙寺鼻に供養塔を建設することが決定されました。
昭和21年5月26日 広島市戦災死没者供養塔が慈仙寺鼻に完成し開眼法要
この供養塔は、卒塔婆を形どった高さ6mのもので、当時は木材不足のため張りぼてでした。
昭和21年7月20日 (バラック建ての)仮納骨堂と礼拝堂が市民の喜捨により建立されました。
8月6日供養塔前で各宗派合同の慰霊祭が行われ、以後毎年慰霊祭が行われることになりました。
1948 昭和23年10月13日 ヘレンケラー(1880-1968)女史(11年ぶりに)広島訪問。この広島市戦災死没者供養塔へも訪問。
※ヘレンケラー女史は長崎も訪問、如己堂永井隆博士と固い握手を交わされたました。
1950 昭和25年5月10日 広島市戦災死没者供養会は、「広島戦災供養会」に改組※され、この新供養会は、地元各界から選ばれた民間組織となりました。
以後毎年の慰霊祭は、供養会主催により8月6日、朝6時15分から執行されています。
(※政教分離を求めるポツダム政令に基づいて改組されました)
1853 昭和28年9月21日 広島戦災供養会が広島戦災供養塔の本格的な建設運動を決定しました。
(既存の供養塔は仮建築であり、原爆犠牲者の遺骨収容も限界に来ていることから)
1955 昭和30年6月15日 新供養塔地鎮祭。
新供養塔は旧供養塔の50m北寄り、設計者は石本喜久治(1894-1963)
大きさ直径16m、高さ3.5m、桃山時代の御陵を摸し造成された塔で表面は芝生を植えています。
広島戦災供養会の募金50万円+広島市費300万円=建設費350万円
昭和30年8月5日 新供養塔完工式
広島戦災供養会は供養塔の建設に合わせて供養塔北側に新塔婆を建立(開眼法要)
塔婆:周囲3尺(≒90cm)、高さ33尺(≒10m)、重さ4屯:宮崎県の有志からの寄贈。
1956 昭和31年6月 供養塔上部へ相輪1基、供養塔根際に石灯篭一対
中国電気の親交会寄贈(工費35万円)。
1960 昭和35年4月 供養塔前石燈籠一対(4月6日:献灯式)
全国信用金庫が寄進。
1981 昭和56年2月 (広島訪問の)ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に原爆死没者慰霊碑だけでなく、原爆供養塔にも参拝をと広島県宗教連盟(森安忠理事長)が要望する。政教分離から広島市は困惑したそうです。
後日、法王代行としてアゴスティーノ・カザローリ枢機卿が参拝されました。
2005 平成17年1月14日
平成17年3月11日
防水工事を中心とする本格的補修工事に伴う遺骨移転の為の慰霊式
広島戦災供養会主催で防水工事終了に伴う慰霊式を行う。
平成17年7月21日 「原爆供養塔折鶴奉納台」が広島市に寄贈される(供養塔前左手に設置)
広島市若葉ライオンズクラブが寄贈。
平成17年8月5日 広島市が「原爆供養塔年表板」を供養塔前右手(東側)に設置
敬称は略しました 資料は、広島戦災供養会発行の「慰霊の記録 原爆供養塔(増補版)」を参考にしました

12.02.09撮影

12.02.09撮影
2011年度第2回企画展「広島、1945-写真が伝える原爆被害-」展示パネル 「平和塔と元安川」撮影:佐々木雄一郎氏
平和塔と元安川 1948(昭和23)年 爆心地から120m〜280m  撮影:佐々木雄一郎
現在の平和記念公園に一時期「平和塔」というモニュメントが建てられました。
写真手前の元安川の川床には人骨が残っていました。
撮影:佐々木雄一郎   (写真)提供:塩野雄悟



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原爆供養塔
原爆供養塔の略沿革
2005年新しくなった案内板
(原爆供養塔納骨名簿)-遺族を捜しています-





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