体験記「爆心に生き残る」の原稿
  中区中島町の平和記念公園の現在・レストハウス(被爆当時“燃料配給統制組合”)の地下室で被爆された「野村英三さんの体験記の原稿」です。
※爆心地から≒170mの至近距離で被爆されました。
広島県燃料配給統制組合になっていた建物では被爆当時37名が勤務、8名が負傷しなからも脱出されたがこの地下室に書類を取りにきて被爆された野村英三さん(被爆時47歳で84歳で他界された)以外は数年後には亡くなりました。
野村英三さんの手記・原爆の絵がいろいろなところで紹介されています(ので)。
2004(平成16)年交流ウォークではじめてレストハウスの地階に入ることができましたが、広島平和記念資料館2008年企画展「被爆建造物は語る」(2008年12月15日まで開催)を見ているときに、野村英三さんのその時の体験記「爆心に生き残る」の原稿(現在・広島市公文書館蔵)が展示されていましたので撮影しました。
※以前は広島市のweb siteで読めたのですが現時点はリンク切れになっています.
※国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のweb siteで読むことができます。爆心に生き残る  19.03.10,再確認済
08.10.15裕・記編集

08.09.19撮影
広島市中区中島町1 (広島平和記念資料館地下1階展示室5)



被爆した建物・構築物」編



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野村英三さん「爆心に生き残る」の原稿





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