(天満神社の)菅公一千年祭紀念碑

  中区中島町の天満神社に建立されている「菅公一千年祭紀念碑」です。
  明治36(1903)年3月23日建立の「菅公一千年祭紀念碑」
陸軍中将從三位勲一等功二級男爵山口素臣書
明暦年間(1655-1658)は 鶴翁山吉祥寺と称していました。
其の後天和(1681-1684)貞享(1684-1688)年間のころより 満松院と改められました。
1869(明治2)年8月神仏混淆を禁ぜられるに当たり寺院を分離し、
1872(明治5)年11月空鞘神社摂社と定められました。
1903(明治36)年3月22日より六日間にわたり盛大に菅公一千年祭が挙行され御輿小町白神社御旅所に渡御還御あり。
(すがわらのみちざね)
菅原道真:
(845-903) 
平安前期の学者・政治家。是善の子。菅公(かんこう)・菅丞相(しようじよう)と称される。
宇多・醍醐両天皇に重用され、文章博士・蔵人頭などを歴任、右大臣に至る。この間894年遣唐大使に任命されたが建議して廃止。901年藤原時平の讒訴(ざんそ)で大宰権帥に左遷、翌々年配所で没した。性謹厳にして至誠、漢詩・和歌・書をよくし、没後学問の神天満天神としてまつられた。
(やまぐち もとおみ)
山口 素臣:
(1846-1904)
陸軍軍人。山口藩・萩生まれ。1896(明治29)年1月0第5師団長。1890(明治23)年歩兵第10旅団長、歩兵第3旅団長を歴任。階級は陸軍大将従三位勲一等功二級男爵。
広島市教育委員会発行「広島の石碑」に掲載されていましたが、建立の由来が「毛利移府の日現在地に遷る」とありましたが・・・境内に設置の説明版を読むと「1903(明治36)年3月22日より六日間にわたり盛大に菅公一千年祭が挙行され・・・」とありましたのでその記念として建立されたことがわかりました。
08.03.22裕・記編集

02.02.03.撮影
広島市中区中島町6−1

08.03.03.撮影

08.03.03.撮影

08.03.03.撮影



「その他」編



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