(お好み村)古田正三郎村長之像

  中区新天地のお好み村入口の処に建立されている「(お好み村)古田正三郎村長之像」です。
広島風お好み焼の育ての親、広島名所「お好み村」の村長古田正三郎氏は、戦後、廃墟の広島で広島風のお好み焼をはじめて以来、お好み焼一筋の人生を歩み、この間「お好み村」の名前を全国的に広め、ハワイや独逸・花ーバー等にも出向いて広島風お好み焼を世界各地に紹介するなど、その普及に努めました。また、お好みソースの味の研究に協力し諸材料の購入を通じて、全国の産業発展にも貢献しました。
ここにその功績をたたえ、真心より胸像を寄与いたします。 
平成4(1992)年1月吉日 広島市新天地お好み村飲食組合
お好み村は、戦後市内に屋台ができてきており、1957(昭和32)年ころ西新天地広場(現在の新天地公園)に約50軒近くの屋台が営業していたそうです。
しかし、1963(昭和38)年立ち退きになり、1965(昭和40)年移転先が見つからなかった14店が2階建てプレハブ建物でお好み村がはじまったそうです。1990(平成2)年一時閉鎖になり、仮店舗で営業は続け、1992(平成4)年1月28日に、7階建ての近代的なビルに生まれ変わりました。
立体写真像 代表者・盛岡公彦作
立体写真像(株)の資料によると「発明者・盛岡勇夫は1893(明治26)年広島県に生まれ、中学校時代から写真の素晴らしさに惹かれ、これを「立体化」する方法を考え始め大学卒業後、一旦雑誌「新小説」の編集者を務め、その後、1920(大正9)年から本格的に『立体写真像』の研究、3年後の1923(大正12)年に完成しました。1937(昭和12)年、パリ博覧会において〈立体写真像制作方法〉を出品して金賞を受賞しました。」そうです。
現在のビルになった1992(平成4)年以来度々ではないにしても、(エレベータを利用せず)何度か使ったことがある2階に上がる階段の根際に建立されている古田正三郎村長像に、今(2011)年5月に気がついたのです。
何と節穴をした観察眼かと思いますが、営業をはじめた1992年には今の場所には無かったのではと(わたしは)思うのです。それではいつからとなるとトンと記憶にありませんが。
11.06.05裕・記編集

11.05.13.撮影
広島市中区新天地5-13

11.05.13.撮影

11.05.13.撮影

11.05.13.撮影



「野外彫刻など」編



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お好み村
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