お好み村

  中区新天地にあるお好み焼の店が集う(現在は)ビルになっている「お好み村」です。
お好み焼きのはじまりは、主食の米が不足した戦前戦中に庶民の間で親しまれた「一銭洋食」だったといわれ、小麦粉を水で溶き、ねぎや干しえび、紅しょうがなどを入れて焼いたものでおやつのような存在だったそうです。
戦後、栄養不足を補うようにと具としてキャベツや卵、魚介類、そばやうどんを入れるなどの工夫がなされいまの広島風お好み焼きになっています。
お好み村は、戦後市内に屋台ができてきており、1957(昭和32)年ころ西新天地広場(現在の新天地公園)に約50軒近くの屋台が営業していたそうです。
しかし、1963(昭和38)年立ち退きになりました。
1965(昭和40)年移転先が見つからなかった14店が2階プレハブ建物でお好み村がはじまりました。

1990(平成2)年一時閉鎖になり、仮店舗で営業は続け、
1992(平成4)年1月28日に、敷地面積:460u、延面積:2,263u。RC造、7階建ての近代的なビルに生まれ変わりました。
※お好み村の発案は、初代村長・ちいちゃんの古田正三郎と食品卸問屋・住田の住田一也だそうです。
「お好み村」の名前の由来は、きだみのる(作家:1895-1975)が、活気あふれる風景をみて「まるでお好み村みたいだ」と云われたのがはじまりと聞いています。
お好み村のビルを経営されていていた住田一也が、原爆で妹、弟を喪っておられ、原爆で亡くなった子どもたの供養を考えられこのビルに建立された「新天地地蔵尊」の頁を編集しました。
その時、お好み村も一緒に取り上げていましたが、今回内容も追記し分離独立した頁にしました。
07.09.23再編集   05.01.05裕・編集

04.12.11.撮影
広島市中区新天地5-13

07.05.20.撮影

07.05.20.撮影
1階には(お好み焼きではない)食べ物屋さんが 27店のお好み焼き屋さんが入居
敬称は略しました



「食べ物」編・全体


「建物」編



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お好み村
  (お好み村建立)新天地地蔵尊
  (お好み村建立)古田正三郎村長之像





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