(廣島縣立廣島第一等女學校) 被爆した門柱

  中区小町の平和大通南側緑地の“広島県立広島第一高等女学校職員生徒追憶碑”の後ろに建てられている「廣島第一縣女の被爆した門柱」をこの頁では取り上げました。
資料によると、校舎は1922(大正11)年に新築されましたが、1945(昭和20)年8月6日原爆で灰燼に帰しました。
被爆した当時の門柱が、慰霊碑の根際に残されています。正門・門柱4本のうちの一つです。
慰霊碑は、1955(昭和30)年学校の正門があったところ(現在は平和大通り)に建立されています。
爆心地から≒650m  被爆当時町名は下中町でした。 
2000年に原爆関連の慰霊碑を巡りだしたわたしでした。この慰霊碑は以前より知っていましたので撮影し頁に編集していましたが、被爆した門柱にも目はいっていましたが、今(2008年)になりましたがこの門柱に注目した頁を編集しました。
   08.12.05分離再編集    00.11.30裕・編集

08.09.19.撮影
広島市中区中町 平和大通南側緑地  

08.09.19.撮影
門柱頭部の飾りには以前より目が行っていましたが、柱脚にも波型の浮き出しのおしゃれな飾りがありました



被爆した建物・構築物」編



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廣島第一縣女原爆犠牲者追憶之碑
(第一縣女の)被爆した門柱





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