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東区尾長西の瀬戸内高等学校に建立されている「松本隆興先生之像」です。
※像の作者は木村靂です。 |
松本隆興 (まつもとたかおき:1854−1928) |
1854(嘉永7)年6月15日広島県賀茂郡吉土実村大字吉行三番屋敷にて松本薩摩守、母政子の長男として神官の職の家に生れる。
1873(明治6)年3月20日広島師範*卒業後福澤諭吉(1835-1901)先生の門下に学び帰りて後、西条、高屋、黒瀬小学校長を歴任。 |
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1872(明治5)年5月(広島藩校・修道館を継承する)遷喬舎設立。
1874(明治7)年(遷喬舎の廃校後)広島県設立の白島学校(のち広島県師範学校と改称)。 |
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1901(明治34)年4月15日広島県賀茂郡茂郡吉土実村大字吉行(現東広島市西条町)「私立松本学校」創設。尋常小学校准教員養成を始める。1914(大正3)年4月1日松本商業実務学校を設立。1923(大正12)年4月1日(実務学校令により)広島県松本商業高校に改組。1927(昭和2)年4月1日広島市尾長町355-1(現在地)に校舎移転。1927(昭和2)年まで校長をつとめた。1928(昭和3)年12月20日死去。 |
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松本商業は、1972(昭和47)年(現校名)瀬戸内高校になっています。2006年になって原爆関連の慰霊碑「松本商業学校職員生徒慰霊碑」を訪ね頭を垂れ撮影した時に、この松本先生の横顔が写っていましたが、慰霊碑ばかりに目が行っていたようで、気が付きませんでした。広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編を編集して来ていますので、学校の根際を通った今回撮影し、頁を編集しました。松本隆興先生の略歴が刻まれた石碑が建っていました(上記・グレー字)。像の後ろに、「昭和36年1月木村靂作」と刻まれていました。1961(昭和36)年は学園開校60周年の記念の年だったのでこの胸像が造られたのでしょう、しかし同(1961)年8月30日南・東校舎の火事に遭ったことで、次の年(1962年)に開校61周年記念式典が挙行されたそうです。
作者、木村靂については今のわたしには詳しい事は分かりませんが、竹原出身の彫刻家だそうです。 |
10.07.29 裕・記編集 |