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廿日市市大野宮浜温泉の米山広場に鎮座している「米山(こめやま)神社」です。 |
米山神社の名は、西国街道・四十八坂の上に米山峠がありそこから名付けられたのではないかと推測されています。
神社は元々は、山側に鎮座されていましたが、明治19(1886)年9月17日暴風雨による(流失4戸、死者12名の)山崩れで、日本赤十字大野療養所(後の大野陸軍病院)の根際にあたる処に遷座されましたが、奇しくも昭和20(1945)年9月17日枕崎台風による大規模土石流で流失してしまい、戦後いまの米山広場に再建されました。
いまは商売繁盛の神様としてのお参りが多いのですが、もともとは農耕の鍬の神様が祀られ、この辺りの三つの集落の守り神としての神社だったそうです。 |
米山神社の由来などは「大野歴史ガイドの会」西尾賢二氏に教えていただきました |
京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑を訪ねた米山広場・・・・その米山広場の東側北に鎮座の小さな神社にも目がいきましたので撮影しました。御祭神は、農業神ということから倉稲魂かな、海に近く商売の神様といえば恵比須神かなとおもったのですが、西尾さんに説明していただき、産土神であるなとおもったのです。 |
08.02.21裕・記編集 |