校母ゲーンス先生胸像

校母ゲーンス先生 在職45年(生年1860年4月〜永眠1932年2月)
来広1887(明治20)年10月
創立70周年記念  再建1956(昭和31)年10月1日
おじさんの『原爆記』に出てくる兵器部の(非常時)集合所だった牛田の女学院・大学に立ち寄ったときに知った学校初代校長ナニ・B・ゲーンス先生の胸像を高校で拝見しましたので編集しました。
ゲーンス先生は、72歳で亡くなるまでの45年間、広島の地でキリスト教と女子教育のため働かれ、その働きに対し、広島市は、比治山に、当時は認められていなかった外国人の埋葬を、特例として認め、広島女学院の育ての親であるゲーンス先生の墓碑には、「Workers together with God」(日本語で云えば、「我は神とともに働く者なり」となるのでしょうか)と刻まれているそうです。
07.05.30更新   06.11.15裕編集

06.09.11撮影
広島市中区上幟町11-32 広島女学院中学高等学校

06.09.11撮影



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